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やっと訪れた“春の決戦”、永瀬拓矢叡王の盤側には8本のバナナが置かれていた

やっと訪れた“春の決戦”、永瀬拓矢叡王の盤側には8本のバナナが置かれていた

第5期叡王戦七番勝負第1局・観戦レポート #1

2020/07/04
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一手、また一手とものすごい速度で手が進む

 青野九段は「元祖中年の星」と言える棋士である。羽生世代がA級を占めて世代交代が行われていく中、47歳で10年ぶりにA級へ復帰したり、還暦を超えてもなおB級2組に長く留まるなど活躍した。桐山清澄九段に次いで、現役では2番目の年長棋士だ。研究家としても知られ、「青野流」と名の付いた作戦もある。現在は出身地である静岡などでの立会人を務めており、ファンからは「とるいち」「ブルーノ」の別名で親しまれている。

静岡県焼津市出身の青野照市九段

 そんな大御所が「最近の角換わりは新しい感覚でね……」と非常に興味深い話をしている時、対局室では一手、また一手とものすごい速度で手が進んでいた。あまりにも速い。ほとんど一手に1分もかけていない。その指し手に前例はあったものの、そこから離れ未知の世界へ身を投じてからも二人の速度が落ちる様子はまったくない。お互い居玉のまま派手に駒が舞い、先手玉の近くで大駒が成る。

 目まぐるしい手の応酬に、棋譜コメントでも「相早繰り銀でこのスピードはちょっと見たことがない」と記されていたほどだ。もしかして、二人とも持ち時間が5時間だということを忘れているんじゃないだろうか?

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 あまりのスピードにヒヤヒヤするのも束の間、56手を迎えたあたりからようやく進行がゆっくりしてきた。ここまではお互い研究範囲内で、これからじっくり時間をかけて戦っていこうということか。

対局室には十分なスペースが確保されていた

「深海に潜ったね」と青野九段はぽつりと言った。盤の海は深い。それは目の前に広がる太平洋よりもはるかに深いのだろう。

多くの別名を持つ永瀬叡王

 現在27歳の永瀬叡王は、王座のタイトルも保持している二冠だ。

「軍曹」「バナ永瀬」「根絶やし流」「千日手マニア」――彼には多くの別名がある。

「将棋は才能ではなく努力」という持論のもと、「根性」「不倒」の文字を掲げ、膨大な時間を将棋に捧げ結果を出してきた。それこそが彼の持論を証明する手段であり、そして将棋への愛の表現なのである。時に「将棋に感情は必要ない」と声高に語る彼だが、その実誰よりも人間の感情を理解した勝負術を発揮することもある。

先手番となった永瀬叡王(ニコニコ生放送将棋公式Twiter @nico2shogiより)

 聞くところによれば、普段の研究では、人間相手のVS(実戦形式の練習将棋)を大事にしているという。外出自粛の時期もオンラインであの藤井聡太七段と研究を続けていたそうだ。

 しかしそうした勝負に徹する姿とは裏腹に、ファンの前での物腰は柔らかく、子供には優しい。そして実家のラーメン店を営む父親へのリスペクトもよく知られており、そのストイックさと情熱を愛するファンは少なくない。彼の別名の多さは、強さと個性を象徴しているだけでなく、多くのファンに愛されている証でもある。

棋界の頂点に君臨する超天才、豊島竜王・名人

 挑戦者、豊島竜王・名人。現在30歳の押しも押されもせぬ最強の棋士である。

 かつて対局相手の佐藤紳哉七段が「豊島? 強いよね。序盤中盤終盤、隙がないと思うよ」と発したネタは非常に有名だが、その強さはネタではない。史上最年少の小学3年生で奨励会に入会し、近年では人との研究をやめAIを活用した結果、史上4人目の竜王・名人として棋界の頂点に君臨する超天才。普段表情が少なく、あまり喋らない性格から私生活はほとんど謎に包まれていた。

同時並行で名人戦七番勝負も戦っている豊島竜王・名人(ニコニコ生放送将棋公式Twiter @nico2shogiより)