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小林 そんな、「大女優」は言い過ぎ(笑)。10代の頃の私は結構奔放だったんです。だからもし、20代の初めに主人と出会わなければ、奔放なまま年を重ねたでしょうし、そのほうが女優としては大成したのかもしれないなって、そういう意味。ただ、いまも自分の中にはそういうファクターはあると思う。奔放というところは。

25年間、遮断された世界で暮らしていました

岡村 でも、「そうじゃない人生」を選ばれました。

小林 結果的に。それは、彼に言われたからではなく、自分が「そうしよう」って決めたんです。「この人で貫き通す」と決心してこの生活に入ったので。そこはずっとブレなかった。とにかく、子育てがホントに楽しかった。いまはもう息子も独立しましたが、子育てを必死にやっていたあの頃がいちばん幸せだったと思うほど。

岡村 本でもそうおっしゃってますね。「最高の25年間だった」と。

小林 もちろん、子供が病気になったとか、言うことを聞かないとか、みなさんそうですが、大変だったこともあるんです。でも、振り返れば、なんて贅沢な時間だったんだろうって。主人には本当に感謝しているんです。子供のことだけを考え、子供の生活を第一にするのを許してくれましたから。

岡村 しかし、まるで消えてしまうように家庭に入られたでしょ。僕らからすれば、人気絶頂で突然いなくなっちゃって、なぜ? っていう感じだったんです。

 

小林 やっぱり、何かを得るためには何かを捨てなければいけなかった、私は。実際、そうだったし、結果、それで良かった。あと、子供が生まれたとき、主人に言われたんです。「子供はおもちゃじゃないし、ファッションの道具じゃないんだぞ」って。そんなことはこれっぽっちも思ってない! って思いましたけど、でも、どこかでそういう気持ちはゼロではなかったのかもしれない。

 だから、そこからはもう何も考えず、子供のことだけ。変な言い方ですが、25年間、遮断された世界で暮らしていたんです。芸能界の友達とも一切連絡を断って。自ら望んでそうしたんです。子供の学校の友達とか、ママ友とか、そういう人にしか会わなかった。会いたいという気持ちも起こらなかったなあ。

岡村 大親友のユーミン(松任谷由実)さんとも連絡を取らなくなってしまったそうですね。

小林 彼女は音楽界のスーパースター、私は主婦。住む世界が違い過ぎると思ったんです。私はもう連絡してはいけないなって。