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 香川県の製麺機メーカーを訪れたページの扉には、彼の自筆で「一度味わったら忘れられない、コシのあるエンターテイナーになりたい」という言葉が記されている。宮崎県の神楽面職人を訪ねた回の扉には「省悟さん(職人の名)に負けない面(ひょうじょう)作りしていきます」。広島県で「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」の事務局長を訪ねた回には「俳優は想像力も届ける職業だ」。島根県で日本に唯一現存する「たたら製鉄」の場を訪ねた回には「50年後の為に仕事をしたことはあるだろうか?」 

 たぶん彼にとってその企画は、俳優という自分の職業と、人々の生きる社会を結びつける重要な意味を持っていたのだろう。文化や芸術という言葉に時に付随する、東京メディアの特権意識ではなく、彼らと同じ「地場産業」の一つとして、職人たちが自分の仕事に誇りを持ち信じるように、三浦春馬もまた演劇を「この産業を血の通った仕事と自負している」と語り、「演劇を信じる」とカーテンコールで語ったのだと思う。

 福島の農家や宮城の水産業が震災の苦難を乗り越えるように、広島の教師が戦争を記憶し、沖縄の伝統芸能が歴史を継承するように、演劇産業もまたこの危機を乗り越えると彼は信じていたのではないか。 

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三浦春馬 ©getty

 その日の昼公演が終わって外に出ると、夜公演の当日券を求める人たちが列を作っていた。僕は最初その列に並んだが、人が増え、当日券のキャパシティを超えて抽選が行われると聞いて列を離れた。最後の夜公演を見たい気持ちはあったが、公式SNSで当日急遽告知された当日券の発売に「ただ一度でいいから見たい」と仕事終わりに駆けつける人々を見ているうちに、彼らを押しのけて二度目のチケットを取る気が挫けてしまったのだ。今でもあの日の判断は間違っていなかったと思う。

 だから僕は、夜の最終公演で彼らが何を語ったのか今も知らない。それはあの日の夜の公演を見た人たちがどこかで語って、それをシェアしてくれることを待ちたいと思う。SNSやネットは人を燃やして裁くためではなく、本来はそうした共有のためにあるものだから。 

彼の死ではなく、彼の生を記憶しよう

 もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない。

 でもそれは間違いだ。2020年の7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。