彼の死ではなく、彼の生について書こうと思う。彼がなぜ死んだのかではなく、彼がどう生きていたのか、僕が最後に見た舞台のことを書きとめておこうと思う。
5月にこの舞台、三浦春馬の最後の舞台になってしまった『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』2020年3月27日の公演の記事を文春オンラインで書いた時、僕は意図的に彼らのカーテンコールでの言葉を記事に直接全文引用することを避けた。理由は5月上旬当時、SNSに激しく満ちていた演劇バッシングの空気だ。
今からここに書く文章を読んで貰えばわかるが、あの日の舞台で出演者たちが語った言葉はいずれも真摯で誠実な言葉ばかりだ。だが、緊急事態に突入した5月上旬当時の状況では、演劇関係者のわずかにも不用意な発言はことごとくSNSで激しく糾弾されており、舞台で信頼する観客に向けて語った言葉も、片言隻句を「失言」として捉え糾弾されかねない空気があった。
予想外の文脈で彼らが標的になることを避けるために、5月の記事では直接的な引用は最小限に留めた。でも今は、改めてあの日の彼らの言葉をここに書き留めておこうと思う。
以前も書いたように、3月27日の昼公演は政府と東京都の自粛要請によって本当に突然「千穐楽になってしまった」公演だった。僕は本当にたまたまその最後の日にぶつかった観客にすぎないし、三浦春馬については、僕よりも長く彼を見てきた批評家やファンたちの方がよく知っているだろう。だから僕は、その日の昼公演を偶然見た観客として、彼があの日のカーテンコールで語った言葉を、彼に関する一つのメモとしてできるだけそのまま手渡したいと思う。
子役たちの紹介に心を砕いた三浦春馬
あの日、休憩を挟んで4時間近い舞台の後のカーテンコールで、三浦春馬はそれほど多くを語ったわけではない。彼はむしろ自分より他の共演者に発言の場を与えることに心を砕いていた。
圧倒されるほど素晴らしい本編が幕を下ろした後、この見事な舞台が今日で突然の打ち切り千穐楽を迎えてしまうことについて主演の三浦春馬が何を語るのか、カーテンコールの万雷の拍手は彼が口を開きかけた瞬間に固唾を飲むように静まり返った。しかし彼は観客に来場の礼を述べた後、まず小学生くらいの年代の子役たちの紹介を始めた。
「本公演をもちまして、赤組の子どもたち(彼はそう呼んでいたと思う)、今日が千穐楽となります。東京千穐楽だね。おめでとうございます」