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大木 先に挙げた第14師団史の執筆者も自衛隊の方でしたが、生き残りの人や地元の人の話を聞いて書かれたものです。このような伝統が陸・海・空で、果たして維持されているのかどうか。

戸高 昭和30年代は、海上自衛隊でも、地方総監部のような場所に戦歴のある隊員がまだいる時代でした。戦訓のため、彼らが後輩に体験記を書かせる例がありました。それがきちんと残されているかどうかが、よくわかりません。例えば、舞鶴なら舞鶴でつくり、参考資料にしたとしても、そのまま埋没していたらもったいないことです。

大木 そうですね。かつての戦史室、戦史部だけでなく、現場の部隊でも、戦史教育のために、体験記を書かせたり、史料を集めたりしていました。

戸髙 戦後の第一復員省、第二復員省が、戦時中の重要な問題に関して、直接担当者にレポートを書かせたりした例があります。そういうものの一部が、例えば今村均さんの回想録です。それが、彼の著書のベースになっています。何らかの形で全体像がわかってくると、現在わかっている以上のものが調査の対象として出てくる可能性はあります。

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松井石根の「陣中日記」改竄をつきとめる

大木 松井石根大将の「陣中日記」改竄は、戸髙さんもよくご記憶だと思います。

戸高 はい。雑誌『歴史と人物』で、この企画をするので手伝ってくれと横山さんに言われ、私は現場――陸上自衛隊板妻駐屯地――に行き、松井さんの日記を借り出しました。

大木 よく覚えています。3人で行きましたね。

戸高 持っていった自分のカメラで、1ページずつすべてを撮影した記憶が鮮明です。それをプリントして読むと、なかなか面白かった。

大木 順番で言うと、「松井石根の日記が翻刻され本になったが、これは貴重な史料だが……」と秦郁彦先生が疑いをもたれたのが最初です。これを出した田中正明さんは松井の秘書をしていた人間で、「南京大虐殺まぼろし」論を唱えている、果たして書かれていることが確かかどうか検証してみよう、と秦先生が言い出しました。それに横山編集長が乗り、戸髙さんに車を出してもらい、板妻駐屯地に行った。自衛隊駐屯地のガラスケースの中に陳列してある日記を出してもらい、一枚、一枚、戸髙さんが撮影したのですね。

 横山さんは半信半疑で、改竄までは予想していないようでした。撮影して焼いたものを「まず、君がチェックしろ」と言われましたが、私も原文をいじるなどということはないだろう、と思っていました。いまだに覚えていますが、昔の人らしい崩しの読みにくい字をたどって読んでいくと、「あれ?」と。文字が抜け落ちているのではない。原文にある内容が落ちているのではなく、原文に書いてないことが、書いてあるんです。

戸高 完全に創作ですよね。

大木 ええ。しかも確認していくと、1つ、2つなどではなく、多々ある。中には2、3行書き加えている。私は横山さんに報告し、その後、作戦会議の場としてよく使っていた銀座のバーに行きました。