「ああ! 悪いね。あれ失くしたよ」
大木 保阪正康さんに伺ったのですが、黒島が何と言って借りたかというと、「東京裁判に証人として出るのに必要だから」と言ったそうです。ところが保阪さんが調べたところ、その時期に黒島は証人に出ていません。
戸高 出ていないし、黒島の家から東京裁判の裁判をしていた市谷までは、電車に乗らずに行ける距離だと千早正隆さんは言っていました。だから、電車内で失くすことも考えにくい。黒島は確信犯だった。軍令部の一部にいた私の元上司・土肥一夫さんも、同じことを言っていました。史実調査部に来た黒島に「これを貸せ」と言われると、貸さないわけにもいかない。土肥さんは元中佐、黒島は少将だったこともあるでしょう。しばらくすると、「ああ! 悪いね。あれ失くしたよ」と言われる。軍令部のファイルの何冊かで同じことをされたと言っていました。ああいう困った人が入ると、史料も危うい。
大木 「天網恢々疎にして漏らさず」で、その所業が伝わっている例ですね。黒島は連合艦隊から、戦争の後半で軍令部に移り、特攻作戦に関わるようになった。
戸高 土肥さんが軍令部に行ったのは昭和18年の暮れです。すでに黒島亀人は「次の作戦では体当たりをやる」とはっきり言っていたそうです。土肥さんは、「体当たりするほどの気持ちでやれ、という意味かと思っていたら、実際に体当たりさせるというので驚いた」と言っていました。こう言っては何ですが、黒島さんや源田実さんは、兵隊を本当に駒のように扱い、躊躇なく特攻のような作戦を考える人でした。
文字通り「駒」扱いされる搭乗員
大木 戸髙さんから聞いた話ですが、源田実が「ミッドウェイではパイロットを大事にしすぎて負けた。今度はもう徹底的にやる」と言ったとか。
戸高 そうです。そこで南太平洋海戦になる。南太平洋海戦ではミッドウェイの約2倍、搭乗員が死んでいます。本当に乱暴です。
大木 そうですね。以前の通説では、ミッドウェイでは空母四隻とパイロットも多数失ったという話でしたが、澤地久枝さんの一人ひとり戦死者を調べた仕事により、空母はやられたけれど、パイロットはそれほど亡くなっていないことがあきらかになりましたね。
戸高 救助するときも、搭乗員は優先されています。「飛龍」の艦上爆撃機(艦爆)の小林隊などはほぼ全滅しましたが、母艦に残っていたパイロットは救助されています。それが南太平洋海戦時には、だいたい1回飛んで、命からがら帰ってきたパイロットに対しても、すぐ「また行け」と言って飛ばしている。
大木 あれはすごい損耗率でしょう。
戸高 ええ。特に、「翔鶴」、「瑞鶴」から出撃した艦爆・艦攻(艦上攻撃機)はひどくやられました。私の知っていた小瀬本國雄さんという空母「隼鷹」の艦爆乗りは、そのときは1日2回飛ばされたのです。くたびれ果てて帰って来ておはぎを食べていたら、また「すぐ行け」と言われ、人違いだと思ったそうです。「ええ! 俺がまた行くの?」と。でも「俺しかいないなら行くぞと思い、どんな無理な命令でも、張り切って飛びましたよ」と言っていましたが。