改竄箇所は、千何百か所にものぼった
戸高 私もよく連れて行かれました。
大木 秦先生と横山さんと私がそこに集まり、「これをどう考えるか」議論しました。一連の史料の翻刻をしてくれた、史料が読める人にも文字起こしをしてもらうことにしました。するともう、大変なことになったわけです。
戸高 改竄箇所は、千何百か所でしたっけ?
大木 ええ。これは『歴史と人物』にとどまる話ではないと、横山編集長が朝日新聞記者で軍事ジャーナリストでもあった田岡俊次さんに話を持っていきました。そして朝日でも取り上げられることになり、センセーショナルな出来事となりました。
陣中日記の翻刻をした田中正明さんは、朝日に叩かれたものだから、「これは朝日の陰謀だ」と言っていましたが、『歴史と人物』には一言もありませんでした。当然です。
戸高 原文、原物と突き合わせているのだから。
大木 もうびっしり、こことここを書き加えているという証拠がありましたから。「こういうことがあるんだな」と、大変勉強になった事件と言えるでしょうか。
戸高 史料を見るときの難しさの一つですよね。
いったん活字になると、原本まで読む人はなかなかいません。当時者あるいは原本まで辿り着くには、面倒なこともいろいろあります。だから、活字になったものを見て済ますことが多い。世の中に出回っているものは「正しいのか?」「これは本当だろうか?」という意識で見ないといけないところがあります。
大木 我々は、つい信じてしまう。研究者が翻刻して本にしたものなら、まさかいじってはいないだろう、と思ってしまう。
戸高 しかし、この「陣中日記」は例外的です。例えば、原文で少し読みにくい箇所を、内容のイエス・ノーが引っくり返らない程度に、文章的に整理することくらいは許される範囲でしょう。
大木 宇垣纒の陣中日誌である『戦藻録』についても、この文字起こしで本当にいいのか、と考えてしまいました。さすがに検証はしませんでしたが。
戸高 『戦藻録』の原本は、海上自衛隊の第一術科学校にあるんです。私は原本を少し見せてもらいました。
大木 突き合わせてみましたか?
戸高 一部ですが突き合わせました。きちんと文字起こしされています。だいたい、あの翻刻をしたのは、宇垣纒さんの部下だった人で、宇垣さんとほぼ同世代です。それから、宇垣さんの字はそれほど読みにくいわけではない。読みやすいとは言いませんが、達筆です。
確信犯的に史料を「紛失」した事件
戸高 ただ『戦藻録』は、昭和18(1943)年4月ごろという、一番大事な部分が1冊欠けています。
大木 黒島亀人(海軍少将。連合艦隊参謀、軍令部第二部長、大本営海軍部参謀等を歴任)が「借りた」ところですか。
戸高 黒島亀人が、自分に都合の悪いことが書いてあるからという理由で、借り出したものを「紛失」した。電車の中で網棚の上に置いてなくした、と本人は言いましたが、実際は焼き捨てたのだろうと言われています。千早正隆さんは、最初から一通り目を通し、全文を英訳しています。歴史史料を「借りました。そして失くしました」で押し通した黒島に対しては、最後まで怒り心頭でした。