叡王戦は「チェスクロック方式」が採用されているタイトル戦だ。

 以前はプロの対局はすべて「ストップウオッチ方式」のみであったが、少しずつチェスクロック方式の対局が増えている。タイトル戦では、叡王戦の他には王座戦のみがチェスクロック方式で行われる。どちらも現在、永瀬拓矢叡王がタイトルを保持している。

対局者と記録係の間に時計が置かれている

 ストップウオッチ方式は、59秒以内に指せば持ち時間が減らない。一方、チェスクロック方式は、30秒を2回考えたら1分消費してしまうのだ。チェスクロック方式では、両対局者に残り時間が見えるように時計が置かれている。プロ棋戦がニコニコ生放送で中継されるようになって久しいが、チェスクロック方式は始まったばかりであり、対局者と記録係の間に時計が置かれているのを見るのはなかなか目新しい。

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残り時間はタブレットで表示されている 代表撮影:日本将棋連盟

 チェスクロック方式について、立会人の塚田泰明九段に聞くと、

「持ち時間が見えるのは最初は嫌だった。1時間切ったらどんどん減るから気になる。持ち時間の粘りが効かないから。もう慣れたけど」

 とのこと。アマチュアの持ち時間がある対局は全てチェスクロック方式であるため、持ち時間の粘りという感覚はなく、この言葉は非常に印象に残った。

積極的に相手が間違えやすい指し手を好む

 局面に戻ろう。

 永瀬は、豊島将之竜王・名人の攻めを骨と肉で受け止める順を選ばず、得した桂馬を使って攻めに出る。豊島は永瀬の傷口目がけて反撃する。数手後、駒の損得がなくなり、局面が一段落すると、形勢は豊島に大きく傾いていた。

 局面が不利になると、最善手というものは本当は存在しない。なぜなら、有利な側が正しく指せばどう指しても負けてしまうからだ。そのため、不利になった時の指し方にはかなり個性が出る。

 藤井聡太棋聖の指し方は、不利になっても比較的自然な手を指すことが多い印象である。そして、最終盤で相手が間違えた一瞬を見逃さず、一気に抜き去ろうというのだ。

特別対局室からの景色。どんよりとした梅雨空だ ©文藝春秋

 一方永瀬は、積極的に相手が間違えやすい指し手を好む印象がある。プロ棋士はほぼ全員子供の頃から終盤が強く、そうやって逆転勝ちしてきた経験がたくさんあるので、こちらの方が多数派であると思うが。上手く行けば追いつく可能性があるが、そこで正確に指されると一気に差が開いてしまうリスクもあるのだ。

 本局も永瀬は曲線的な順で粘りに行く。しかし、豊島の対応が正確で、差が大きく開いた状態で18時から30分間の夕食休憩に入った。

両対局者の夕食、叡王戦記念特別メニュー「鳩やぐら」。いまはなき「みろく庵」の器が使われている ©文藝春秋

「今日は早く終わりそう」

 との声があちこちから聞こえてくる。

51手目、▲2三歩まで(ニコニコ生放送より)

 夕食休憩後、図の局面で豊島に△5四桂という決め手があった。しかし、プロの第一感は△2二歩で、こちらも手厚く堅実な手であり、豊島は後者を選んだ。