将校は軍刀を地面につき立て、肩をいからして...
人ひとりいないような山中であった。しかし、地ひびきに似た音が遠く聞こえていた。砲撃の音に違いなかった。それを聞くと、いよいよ戦場だという緊張感が全身にみなぎった。
突然、激しい爆音がまきおこった。瀬古大隊長と安西中尉は道路わきの木のかげに飛びこんだ。鋭い銃弾の音があたりを走った。英軍の戦闘機が頭の上をかすめるようにして過ぎた。ふたりは、しばらく木かげに身をひそめていた。英軍機は襲ってこなかった。
ふたりが大隊のいるところに帰りかけると、道路わきに将校が立っていた。八字ひげとあごひげが顔の外にのびていた。八字ひげは縄をよじったかのようにふとく、そのさきを両耳にからませているのが奇怪に見えた。からだが大きいので、余計に異様な感じだった。将校は大木を背にして、軍刀を地面につき立て、肩をいからして、ふたりをにらんだ。少将の襟章が金色に光っていた。瀬古大隊長と安西中尉は、あわてて、固くなって敬礼した。
「よいよい。ご苦労じゃ」
将軍はうなずいて、歩いて行ったが、何か、まのわるいのを、とりつくろうようなぎごちなさがあった。当番兵も副官もいない、全くの単身であったのは、今の空襲でかくれていた、と直感された。瀬古大尉は急に、その将軍を追って走りながら呼びかけた。
「校長閣下」
ひげの将軍は立ちどまり、瀬古大尉と手を握りあうのを、安西中尉は意外に思いながら見ていた。まもなく、瀬古大尉はもどってきて事情を説明した。
「急に更迭になったらしいな」「この作戦の最中にですか」
「あれは田中閣下だ。満州事変当時、馬占山討伐で勇名をはせたかただ」
「どうして閣下などを知っているのですか」
「おれが豊橋の陸軍教導学校にいた当時の校長だったのさ」
瀬古大尉は下士官から将校になり、一度、予備役に編入されたが、特別志願をして軍隊の勤務をつづけていた。それだけに成績はよかった。
「どうして少将閣下が、こんなところにいるんですか」
「弓の師団長心得になられて、赴任の途中だそうだ」
「弓の師団長は柳田閣下がおられるじゃないですか」
「急に更迭になったらしいな」
「この作戦の最中にですか」
瀬古大尉も安西中尉も、作戦最中に師団長を更迭するということに、何か異常なものがあるのを感じた。
第33師団長、柳田元三中将に対し、東京の参謀本部付に転任の命令が出たのは、5月12日であった。柳田中将は、はじめからインパール作戦を無謀として反対していた。作戦が始まってからも、牟田口軍司令官に対し、進撃を中止すべきだという意見具申をした。