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終戦、75年目の夏

緊迫する戦況……死も覚悟 台数足りぬトラック、故障、追い詰められる兵たち

緊迫する戦況……死も覚悟 台数足りぬトラック、故障、追い詰められる兵たち

『全滅・憤死 インパール3』より #2

2020/08/15
note

瀬古大隊につきまとう不運の影

 昭和19年3月8日。インパール作戦が開始されたが、第15師団に復帰するはずの第67連隊の主力は到着しなかった。第15師団の司令部では、第67連隊がどうしているのか、まして、その下の各大隊がどうなっているのかということは、わからないでいた。

 牟田口軍司令官は、インパール作戦に自分の全生命をうちこむほどに熱意を傾けていた。そのために、弓第33師団と同様に、祭第15師団に対しても、当初の作戦行動が敏速に捗らないことを不満に思った。そして、それを師団の怠慢と考えた。こうした軍司令官の悪感情は、のちに第15師団長山内正文中将を、インパール作戦間に更迭させる一因となった。 ともあれ、第67連隊は、作戦開始以前から分属分散されていた。その第一大隊である瀬古大隊には、はじめから、不運の影がつきまとっていた。

ビルマ周辺の地図

なかなか陥落しないインパール

 牟田口軍司令官の構想では、3週間で攻略を終えるはずであった。そのため、将兵が 各自に携行する糧食は20日分とした。不足の分は、英軍の糧食を奪って補うことにな っていた。その反面では、戦勝祝いの酒や菓子を、作戦開始の時に、すでに用意させた。牟田口軍司令官の胸中には、必勝の信念があった。

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 だが、天長節になっても、インパールは陥落しなかった。牟田口軍司令官はあせって、攻撃重点を弓の正面に変えて、ここに増強されてくる部隊を集めた。

 シーポー地区にあった瀬古大隊が、急にインパールに前進を命ぜられたのは、こうした情勢への応急策のためであった。瀬古大隊は昭和19年5月5日、シーポーを出発した。この大隊の編成は、次のようになっていた。

大隊本部            大隊長    瀬古三郎大尉
第1中隊             中隊長    長戸義郎中尉
第2中隊             中隊長    金子秀雄中尉
第3中隊(欠)    中隊長    秋葉清治大尉
第4中隊             中隊長    荒木盛道中尉
第1機関銃中隊    中隊長    白井勝弥中尉(一個小隊欠)
第1歩兵砲小隊    小隊長    橋本    実少尉

 このうち第1中隊の1部は、ビルマ領内に降下した英軍の空挺部隊を攻撃中であり、第3中隊は第55師団に転用されていた。また、第4中隊は中国との国境付近に展開していた。このため、インパール進撃の緊急命令が出た時、瀬古大隊長が直接握っていた兵力は、大隊本部、第1中隊の1部、第2中隊、機関銃中隊、歩兵砲小隊であった。

 瀬古大隊長は第4中隊に至急集結、追及することを命じ、手もとの兵力をもって出発した。瀬古大隊長は前進の途中、チンドウィン河を越えてから、本部付の安西勝中尉をつれてインダンジーに先行した。そこには、第15軍の戦闘司令所があり、軍の作戦参謀平井中佐から指示を与えられることになっていた。

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