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「大炎上」を受け……ハル・ベリーのトランス役降板は、行き過ぎたポリコレか?

2020/08/15

 アカデミー賞主演女優賞受賞歴を誇るハル・ベリーが、次作品でトランス男性役を演じることを発表すると、「大炎上」と呼べる批判を受けた。

 その数日後、ベリーは、「シス女性(*)である私が、この役を演じるべきでないこと、また、トランスジェンダー・コミュニティの人たち自身が、彼ら彼女らの物語を語るべきであるのは明白であることを、今の私は理解しています」「今後はカメラの前と後ろの両方で、トランスの人々の描写や参加が増えるように、私の声を使っていきたい」と謝罪し、役を降板した。先月初めのことだ。

*……シスジェンダー女性の略。出生時に割り当てられた性別と性自認が一致する女性のこと

ハル・ベリー ©iStock.com

 これに対して、私が目にした日本語のSNSでは、「そこまでするのは行き過ぎなんじゃない? だって、役だよ」といった声がかなりあった。 

 そう言いたくなる気持ちもわかる。けれど、そうじゃない。ベリーの降板は、いわゆる「ポリコレ」の観点から、行き過ぎではなく、必要なことなのだということを、この記事では説明したい

 なお、ポリコレとは「ポリティカリー・コレクト(政治的に正しい)」の略であり、英語の「ポリティカル」には、「政局の」という意味の「政治的」だけではなく、より広く、「権力の分配にかかわること」が含まれる。つまり、あまりにも不平等な現状を正し、なるべく平等にしよう、というのがポリコレなのだ。

「エディ・レッドメインの名演も否定するの?」

「行き過ぎ」と思った人たちは、おそらく、次のようなことも考えただろう。「『ボーイズ・ドント・クライ』(キンバリー・ピアス監督、1999)でトランス男性役を見事に演じたヒラリー・スワンクや、『リリーのすべて』(トム・フーパー監督、2015)でトランス女性への移行を体現したエディ・レッドメインの名演も否定するの?」 

 もちろん、1999年の時点では、スワンクの名演は、彼女が演じた実在したトランス男性ブランドン・ティーナをおそった悲劇を、商業劇映画によって広く知らしめるという意義がおおいにあった。

 だが、スワンクがアカデミー授賞式その他で、体の曲線にぴっちりフィットしたドレスを身にまとい、頻繁に、「マイ・ハズバンドに感謝します」と述べることで、「私自身はトランスではありません。シスジェンダーの異性愛女性です」と大アピールを展開したため、「本物のトランスは実在しない。あれは素晴らしい演技であっただけ」という印象を与えてしまった。

アカデミー賞授賞式でのヒラリー・スワンク ©getty

『リリーのすべて』については、主人公がアイナーという男性として幸福な結婚生活を送っているところから物語が始まり、アイナーがリリーに移行していくプロセスを夫婦愛もからめて描いていることから、シス男性であるレッドメインが演じる必然性は、より感じられる。

 また、レッドメインが取材で必ず、「実際のトランスジェンダーの人たちに話を聞かせてもらった」「教育(education)を授けてもらった」と語ることで、「本物のトランスが実在する」ことをアピールしたことも評価できる。とはいえ、シスジェンダーの俳優がトランスの人物を演じることは、2020年現在、ベリーが判断したように、「避けるべき」。