池田 描いてる途中で「それがないと描けません」と言われることもあって、まあ常套句なんですけど。たとえば、Uボート(ドイツ軍の潜水艦)の中身が知りたいと言われて……あれはサンケイ出版の『第二次世界大戦ブックス』だったかな、そのなかからUボートの写真を探して持っていったり、あとは高田馬場の駅前にプラモデル屋さんがあって、ドイツのプラモもずいぶん輸入してたので、そこに行って、Uボートのいろんな種類のプラモを買ってきて組み立てたりもしましたね。それを輪切りにしてこんな感じですって見せるみたいな。
まあ、僕らは週刊誌の仕事をやってるから、資料を探すのはむしろ好きなほうなんで、ほかのマンガ誌よりは集まりがよかったんじゃないかと思いますよ。編集部に戻ればまた、昭和史にくわしい先輩がゴロゴロいますから、こんな資料探してるんですけどって訊くと、じゃあ、あそこに行けとか色々教えてくれましたし。
毎週木曜日から“泊まり込み”
――ところで、『アドルフに告ぐ』の締め切りはどうなってたんですか。
池田 一応、(掲載号の発売される前週の)金曜日にあげるということにはなってました。見本誌が水曜日に上がってくるので、それを手塚プロダクションへ持って行って、そこから週が始まるような感じでした。そのあと会社に帰って「今週はこんな内容で」って伝えて、木曜からは手塚プロに泊まり込み、みたいな形になってましたね。手塚プロにはちゃんと各社の編集者共有のお泊りセットみたいなのがあるんですよ。着替えもあるし、タオル、歯みがき、折り畳み式のビーチベッドみたいなのも置いてあって。それで原稿を待っているあいだ、空いている机でほかの担当ページの原稿を書いたりしてました。
――完全につきっきりだったわけですね。
池田 電話番もしてましたからね。手塚プロにかかってくる原稿や講演の依頼の電話を片っ端から断ったり。講演会の依頼を断ったとき、たまたま先生が後ろで聞いてて、「講演会は僕のお小遣いだから、勝手に断ってもらっちゃ困る」って怒られたこともあります。まあ本気で怒っているって感じじゃなかったですけどね。