漁船とはいったんすれ違ってから大きく舵を切って後方に回りこもうとしたので、舵を切っている最中にだんだん漁船の船尾が見えてくる。確認すると「第二大和丸」と書いてあり、早朝にP3Cから連絡が来た船名だった。そして完全に回り込み、漁船の真後ろについて船尾を見ると、なんと漁船の船尾に縦の線が入っていた。
北朝鮮の「拉致船」と遭遇
それは船尾が観音開きで開く構造になっていることを示している。そこから小舟(工作船)を出せるということである。
これこそが日本人を数多く拉致し、北朝鮮に連れ去っていった「拉致船」なのだ。私は、漁船の船尾を凝視したまま艦長室へ電話をした。
「かっ、艦長、見つけました。めっ、目の前、目の前にいます」
艦長は、返事する時間も惜しかったのか、そのまま受話器を放り投げ、艦橋に駆け上がってきた。
それにしても、観音開きになっている船尾を見た瞬間の感情が忘れられない。全身の血液がグラグラと沸き立つような抑えようのない怒りが噴出した。仲間の首を切り落としたギロチンを見たらこういう気持ちになるに違いない。
海上保安庁と連絡がつき、新潟から高速巡視船が追ってくることになった。それまでの間は写真撮影をしたり、船体の特徴を報告したりしつつ、工作母船の位置情報も送っていた。
「こっちを向け。視線で殺してやる」
私は航海指揮官を交代し、艦首に向かった。工作母船に乗っている工作員にガンをつけるためである。艦橋からは死角になって不審船の船橋の中は見えないが、艦首まで行けば見える。艦首につくと工作母船の船橋右舷の舷窓が見えた。そこに寄りかかっている奴がいる。緑の服を着ていた。私は心の中で叫んでいた。
「こっちを向け。視線で殺してやる」
緑の服の奴は、何気なく右後ろを振り返り、艦首に突っ立っている私に気づいた。そしてそいつと目が合った。
こっちの本気の殺意をぶつけてやろうと思っていたし、相手も送り返してくると思っていたが、視線が合っているのに、まずこちらの怒りがわいてこない。日本人をかっさらっている最中かもしれない奴と目が合っているというのに、情のようなものがわいてしまっている。
5秒ほど見詰め合っていた。彼が前方に視線を戻した。