1ページ目から読む
5/6ページ目

なぜ巡視船は帰ってしまったのか?

 すると、「パラパラパラ」と、上空に向かって小さな口径の弾をばらまく射撃が行われた。

 これは試射で、今から本射が始まり、工作母船の船体付近に威嚇射撃を開始するのだと私は思っていた。だが、いつまで経っても本射は開始されず、巡視船は再び「みょうこう」を無線で呼び出してきた。

「護衛艦みょうこう、こちらは巡視船○○○です。威嚇射撃終了」

ADVERTISEMENT

 えっ、あの上に向かって撃ったのが威嚇射撃? 『天才バカボン』のおまわりさんじゃあるまいし、あれが威嚇のつもりだったのか? さらに無線連絡が入ってきた。

「本船、新潟に帰投する燃料に不安があるため、これにて新潟に帰投致します。ご協力ありがとうございました」

伊藤祐靖氏 ©新潮社

 私はしばらく、巡視船の連絡してきた内容が理解できなかった。航空機ならまだしも、燃料がなくなったところで沈むわけではないのに、日本人が連れ去られている真っ最中の可能性が高いというのに、その工作母船に背を向けて帰投するというのだ。

 血液が沸き立つどころではない。完全に沸騰するほどの激憤を感じ、工作母船より先に、そんなことをほざいている巡視船を撃沈しなければならないと思ったほどだ。

 そうして本当に、巡視船は針路を南に向けて帰投してしまった。

「発令されれば、本艦は警告射撃及び立入検査を実施する」

 ふと我に返ると、北朝鮮の工作母船と「みょうこう」は、30ノットを超える猛スピードで北に向かって突き進んでいる。日本海はそんなに広くない、明日の朝には対岸、要するに北朝鮮に到着してしまう。

 いったいどうなるんだ? 何をすればいいのか、サッパリわからなかったので、とにかく工作母船との相対位置を維持することにした。

 反転し帰ってしまった巡視船への怒りが収まらない私は、航海指揮官を交代し、私室に行った。航海中に靴を脱ぐことや上着を脱ぐことは禁止されているが、そんなことはお構いなしで裸足にビーチサンダル、Tシャツ姿になって、やさぐれながら食堂に降り、自動販売機でコーラを買って飲んでいた。すると副長の声で艦内放送が流れてきた。

「達する。現在、官邸内において、海上警備行動の発令に関する審議がなされている。発令されれば、本艦は警告射撃及び立入検査を実施する。以上」