レイラさんは「まだまだ稼げるし、50歳までがむしゃらに仕事して。33歳で“お金、お金”ってなっていたら…お金に執着するのが逆に怖い」と語っていた。
1987年にブラジルで生まれたレイラさんは、16歳のときに日本へ出稼ぎに来ていた父を頼り、単身来日。19歳の時に東京・表参道でスカウトされてホストになった。当時、日本語ができなかったレイラさんは、客に受け入れてもらえず苦戦したという。
「勉強して、勉強して、営業して。『絶対いつか倒してやる!』って思っていた。その日の一日の売り上げでナンバー1じゃなかったら泣きながら帰っていたタイプ。最初は本当に一匹狼でした」と当時を振り返った。
“ホスト”というだけではなく、レイラさんのような“会えるアイドル”の人気ぶりは全国にまで。Instagramには約3万人のフォロワーがいて、2月のバレンタインデーでは日本中から宅配便でチョコレートが届いた。
歌舞伎町には、至るところにイケメンの看板が立っている。新型コロナウイルスがまん延する前は、イケメンを売りにしたアイドルホストも誕生し、SNSを駆使して、日本中から新たな顧客を取り込んでいた。
憧れのレイラのもとに若者が続々
バブルもあってホストクラブは華やかさを増し、超イケメンの“アイドルホスト”たちが隣でもてなしてくれる…その特別感が女性客を虜に。
また、バブルでホストクラブへの抵抗感は格段に下がり、今や若者たちにとって、手軽にお金を稼げる選択肢の一つになった。
レイラさんのもとには、彼に憧れる若者が1ヵ月で100人以上も面接に来ることも。地方から歌舞伎町を目指していたり、学生と二足のわらじを履いていたり、さまざまな若者が集った。
こうして面接を通過してホスト人生をスタートさせた、あか抜けない若者たちを一人前の“アイドルホスト”に育て上げるのもレイラさんの大事な仕事。
自身が経営に携わるヘアメイクサロンでヘアセットをしたり、ときには若いホストの全身をプロデュースするために、自分の服やアクセサリーを使うことも。