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 ナヌムの家設立のための募金活動イベントには、元慰安婦も駆り出されていた。

 募金活動に参加した元慰安婦の金田きみ子氏(故人)はこう語ったという。

「私たちに渡される謝礼は2、3万ウォンほど。少なすぎると文句を言おうと思って控室に行くと、テーブルの上には山のような札束が積まれており、坊主たちが一生懸命に金勘定している。結局、ハルモニ(元慰安婦)はダシに使われるのよね」

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慰安婦時代の金田きみ子さん。写真館で貸衣装を着て撮影した写真 ©︎勝山泰佑

 多額の寄付金に目が眩んでいく。そうした予兆はナヌムの家設立当時から見え隠れしていたようだ。

元慰安婦たちが「募金行為及びデモ禁止の仮処分申請」を申立て

 2004年に沈美子(シン・ミジャ)氏を代表とする13人の元慰安婦たちが、挺対協やナヌムの家に対して「募金行為及びデモ禁止の仮処分申請」を申立てたことがあった。(詳細は2020年5月20日配信「韓国元慰安婦リーダーから届いた手紙『被害者たちは食い物にされている』」参照)

 裁判の訴状には、こう書かれていた。

〈日本軍慰安婦または女子勤労挺身隊ではない偽物を動員し、ソウル日本大使館の前や周辺で次のような内容や表現を提唱したり、流布する行為を禁ずる。

 一・日本軍慰安婦に対するアジア女性基金は欺瞞だ。日本のカネを受領するのは公娼を認めることだ。

 二・その他、被告が日本軍慰安婦の利益を代弁するという趣旨の内容〉

 文中で触れられている偽物とは、背景がハッキリしない元慰安婦たちのことだ。沈美子氏ら元慰安婦は「偽物」には常に敏感だったという。

ナヌムの家の入居者たち ©時事通信社

 臼杵氏がナヌムの家を定期的に訪れるようになったのは、2012年ごろ。外務省フォローアップ事業で支援していた元慰安婦柳善男(ユ・ヒナム)氏がナヌムの家に入所することになったからだという。

 柳氏は地方都市で一人暮らしをしていたが眼病を患い、健康不安があったため仕方なくナヌムの家に入ることになった。 

「柳氏がナヌムに入ったときは、彼女以外は中国から帰国したハルモニばかりでした。元慰安婦が増えていくということは基本的にはありません。

 2000年代になると高齢になり亡くなるハルモニも多くなっていきました。ナヌムの家に入るハルモニが少なくなった。そこでナヌムの家や挺対協などの慰安婦支援団体は、中国残留婦人の中に元慰安婦がいないかを探すという活動に注力するようになったのです」(臼杵氏)