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2020/09/06

周囲からの「あなたらしくやりなさい」という励まし

 事実、氷川は年明けに受けたインタビューでも、「自分らしい表現」ができるようになった喜びを語っていた。じつは、それまでは多くのコンプレックスを抱え、悩んでいたという。それが変わるきっかけは2年ほど前、長らく世話になっている音楽評論家・作詞家の湯川れい子に、「こんなダメな自分が仕事をしているのは申し訳なくて……」と愚痴をこぼしたところ、「何言ってるの! あなたには神様からもらった使命があるのよ。声もいいしルックスもいい。それだけのものを持っているのだから、あなたはあなたらしくやりなさい」と励まされたことだという。そのとき彼は初めて、《これまで自分なりに努力して積み上げてきたことは無駄ではなかったのだと、初めて自分を肯定できた》という(※2)。

2019年の始球式ではホットパンツ姿を披露 ©時事通信社

 おかげで、昨年末の東京国際フォーラムでのコンサートでは、「限界突破×サバイバー」を歌う際に赤いエナメルのホットパンツを穿き、昔からコンプレックスのひとつだった細い脚を思い切り出すこともできた。昨年のコンサートではまた、イギリスのロックバンドQUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」のカバーにも挑戦する。これは映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、そこで描かれたボーカルのフレディ・マーキュリーの苦悩や孤独に共感したのが発端だった。あの曲をどうしても歌いたいという彼のため、このときも湯川れい子が交流のあるQUEENと交渉し、訳詞も手がけてくれたおかげで実現したという(※2)。

高校まで聴いたことすらなかった「演歌」

 じつは氷川は最初から演歌歌手を志望していたわけではない。小学校のときは、合唱団に入って童謡やベートーベンの第九などスタンダードな曲を歌う一方、家に友達が来ると、アニメソングなどを歌って、リサイタルみたいなことをしていたという。後年、彼がテレビアニメのためリメイクすることになる『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌は、このころよく歌っていた一曲だ。中学時代は当時流行っていたX JAPANやCHAGE&ASKAなどが好きだった。それが地元・福岡の商業高校に進むと、芸能教室というカリキュラムがあり、担当の教師に勧められて、それまで聴いたことさえなかった演歌を初めて歌うことになる。最初は抵抗があったが、歌ってみると気持ちよかったという。課外授業の一環で、老人ホームにボランティアとして慰問に行き、自分の歌う「兄弟船」を聴いておばあちゃんたちが涙を流してくれた。《唄で気持ちが伝わるんだ、演歌って結構いいもんだなって感動して。その時、演歌歌手になろうと心に決めたんです》と、彼は後年語っている(※3)。