「夜にネテトウは食べないよ」
マンボイさんの家は空港から二十分ほど走った、中産階級と庶民が混在しているような地区にあるフランス的なアパルトマンの二階。私たちはそこのリビングルームにマットレスを敷き、寝起きさせてもらうことになった。ちなみにマンボイさんは仕立ての店を経営しており、ダンナさんはホテルの清掃係だという。
夕食はパスタ。「今日はネテトウを食べないの?」と訊くと、「夜にネテトウは食べないよ」とマンボイさんは笑った。「だって、米は昼にしか食べなくて、ネテトウは米と一緒に食べるものだから」
米とセットなのか。驚くばかりだ。セネガルの納豆ネテトウとは一体、何なんだろうか。
アフリカの納豆先進国
ダカールの朝の市場はまるで賑やかな珊瑚礁のようだった。原色の衣装を身にまとった女性たちが、伝統音楽をポップスに組み替えたような活きの良いセネガル音楽にのって、狭い路地を熱帯魚のように優雅な動きで交錯し、彼女らが頭にのせる金だらい(これで野菜や魚などを運んでいる)が強烈な日差しを浴びて煌(きら)めく。私たちは不器用なダイバーになったような心持ちで、マンボイさんのあとについて、市場に潜っていった。
ネテトウは至る所で売られていた。豆の形状を残したひじょうに塩辛い半生タイプもあれば、完全に乾燥した「干し納豆」タイプもある。
店の人とマンボイさんに話を聞くと、「大きい木に長い莢(さや)がなる。その中には黄色い粉と豆が入っている。その豆の殻をむいて、ネテトウにする」という説明。アフリカの別の国でも、納豆に使われていることが確認されたパルキア(日本語では「アフリカイナゴマメ」と呼ばれる豆。日本には存在しない)と思われる。
形状は多種多様。無塩のまま豆をつぶして固め、若干スモークにしたタイプもある。こちらは面白いことにオクラそっくりの形をしている。この地で最も代表的な野菜らしいオクラを模したということだろうか。
――ここも納豆の利用が進んでるな……。
と私は唸った。