“加害者に社会的弱者が多い”という事実が、置き去りにされている
「取材をさせていただいている中で、加害者側に思いを寄せている方もいました。ぼくも制作者としてそれは表現したかったところです。ぼくも長いこと報道の記者をしてきたものですから、いろんな殺人事件の取材をしているなか、加害者側の生い立ちを取材すると、社会的弱者が多いんです。経済的、家庭的に恵まれていなかったり、学校でいじめを受けたり、社会で差別を受けたり……間違いなくそういう人が多い。しかし、我々の知る普段のニュースの中では、そういうことは置き去りにされていて、被害者の方を中心に取材する場面が多いんですよね。そうこうするうちに犯人が逮捕され、また次の事件・事故が起こるんで、今度はそっちの取材に向かってしまう。
『なぜこの事件が起きたんだろう?』という、一番大切な部分を置き去りにして次の取材に向かってしまうというところがあったんで、自分への反省も込めて……。『加害者となった社会的弱者に、私たちが何か手を差し伸べることができていたら、もしかしたらこんな犯罪は起きなかったかもしれないな』という思いを持っていたので、この作品では加害者側の生い立ちを含めて描きたいと思ったんです」
――「こういう事件をなくすには、まず社会的弱者を救うことからだ」という思いから、加害者側も描いたということでしょうか。
「そうですね。今回家族をテーマに撮っているんで、家族の大切さを、加害者側からも描きたかったんです。『おかえり ただいま』ってタイトルにしましたけれど、加害者のあのような家庭で、もしもそんな会話があったなら、事件は起きなかったかもしれない、と」
事件から10年あまり……改めて犯人の父親へも取材を敢行
――加害者の父への取材は、監督ご自身でされたんですか?
「今回取材したドキュメンタリー部分の多くは、ぼくの後輩の、繁澤かおるという記者がいるんですが(『おかえり ただいま』助監督・取材でクレジット)、彼女に全部任せました。カメラマンと音声マンと3人で。群馬県なんですけど、名古屋からだいぶ遠いし、家もどこかわからない。家を探すところから友達とか、近所の人も探しながら。でも取材拒否でなかなか……みんな関わりたくないものですから。かなり大変な取材だったんですけど、彼女がすごく粘り強く取材をして、撮影してくれたんです。
だからぼくは映像を通して『犯人の父親はこんな人なんだ』と。最初の裁判のとき、証人として立っているところは10年位前に見ているんですけど。今回に関しては、繁澤が取材したテープを見て『こういう父親だったのか』というのは初めて知りましたね」