「感染のなかに放り込まれたときの、本能的な人間心理は、時代が変わっても、変わらない面があります」。歴史家の磯田道史さんは、歴史的経験の蓄積を知ることの重要性をこう語る。ウィズ・コロナの知恵を探った磯田さんの著書、『感染症の日本史』(文春新書)から、一部を紹介する。(全2回の1回目。#2を読む)

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馬琴が残した詳細な記録

 我々は、いまなお新型コロナのパンデミックのただ中にいます。そんななかで歴史家としてできることは何か。新型コロナウイルスについては、日々、現代の科学がそのありようを解き明かしていきます。その知見を取り入れつつ、対策を改善させていくのは当然のことですが、これからも未知の感染症が人類を襲う可能性は残念ながら高いでしょう。未知のウイルスに対しては、ワクチンも治療薬もなく、科学はどうしても後手に回らざるを得ません。

 そのとき、かつて似たような流行現象を示した感染症はなかったかと探るのは、歴史学の重要な役割でしょう。過去にどのような被害が出て、人々がどのように対処したか。似たような感染症の大流行は、日本の歴史に他にはなかったのか。そういう問題意識から、この章では、江戸時代の古文書の世界を訪ねてみたいと思います。

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 江戸時代の感染症の記録ということで、私が最初に思い浮かべたのは滝沢馬琴でした。馬琴といえば『南総里見八犬伝』、『椿説弓張月』などの長編小説で知られる作家ですが、多くの随筆類も残しています。

 馬琴の随筆の詳しさ、鋭さには驚かされます。久しぶりに、馬琴の随筆集『兔園小説余録』を読み返すと、果たして文政3(1820)年9月から11月まで「感冒」が大流行したという記述にぶつかりました。ちなみに馬琴は仲間の文人たちと月に一度集まって、見聞きした珍しい話を持ち寄る「兔園会」という会を開いていました。『兔園小説余録』はそこでの話を集めたものです。

 このとき流行った感冒は〈1家10人なれば10人皆免るる者なし〉というほど強い感染力でした。しかし、症状については、「軽症の場合は4、5日で回復し、大方は服薬もせず、重症の場合は『傷寒』(熱病。いまのチフスの類)のように、発熱がひどく、譫言(うわごと)を言う者もいるが、その場合でも15、6日病臥すれば回復する。この風邪で病死する者はいない」とあります。(「 」内は私が現代語に改めたものです。以下同)