1ページ目から読む
2/4ページ目

「お前は、酒造りをばかにしている」

 佐々木要太郎は、民宿「とおの」の4代目跡取りとして1981年に生まれた。

 佐々木がどぶろく造りに目覚めたのは、21歳のとき。当時、岩手県遠野市では、「どぶろく特区」の申請をしていて、要太郎の父・優はその発起人のひとりだった。申請にあたっては、岩手県工業技術センターに通うことが義務づけられていたため、民宿の仕事で忙しい父に代わって要太郎が講義を受けることになった。

とおの屋のどぶろく、水もと・スタンダード・生酛の三種 ©文藝春秋

「どぶろくも日本酒も発酵のプロセスは同じで、並行複発酵というプロセスをたどるということを僕はそこで初めて知るんです。で、そのとき先生が『世界に数多くあるアルコール発酵文化の中で、このプロセスは日本酒だけだ』と言われた。それを聞いた瞬間、『あ、これだったら、世界と渡り合えるな』と思ったんです。その日、講義から戻って、すぐに親父に『俺がここの跡を継ぐから、俺がどぶろくもやるから』って宣言していたんです」

ADVERTISEMENT

 佐々木は、この日を境に一気にどぶろく造りにのめり込んでいく。    

琺瑯で発酵中のどぶろく ©文藝春秋

 目指したのは、「世界を狙えるどぶろく」という恐ろしく高いハードルだった。佐々木は、レシピを何度も書き換え、26リッターの寸胴鍋で試作し続けた。

 そして、迎えた2004年6月30日、ついにファーストビンテージのどぶろくが完成する。

  そんなある日、厨房にいた佐々木は、夕食を終えたひとりの宿泊客から呼び出された。初飲みの日に合わせてやってきた60代後半の白髪の男性だった。

「お前は、酒造りをばかにしている」

 と言い放ったあと、男はこう続けた。

「実は、俺は新潟で杜氏をやっている。どぶろくと言っても、水と麹と米を使ってアルコール発酵させるもので、日本酒と同じ。それはわかるだろう。なのになんだ、この出来は。勉強不足すぎる」

 そして、こう言葉をかぶせてきた。