「お前、タバコを吸っているだろう。俺はタバコを吸う杜氏は杜氏と思ってないから。味覚と嗅覚がダメになるから俺は絶対に吸わない」
杜氏が真剣に怒っているのが伝わってきた。茶化すわけでもなく、ただただ佐々木の酒造りに対する姿勢が我慢出来なかったのだ。
「短髪で、職人気質が顔に出ているような人で、もうグーの音も出なかった。いま思えば、そのときのどぶろくは、深みがなく、薄っぺらで、辛くて、雑菌のいやらしい酸味があるような酒だったと思います」
次の日、佐々木は、毎日吸っていた2箱のラッキーストライクをやめ、モヒカンだった金髪も5厘に刈った。
「あれがなかったら、いまはなかった」と自身が振り返るぐらいの大きな転機だった。
そして酒づくりは、米づくりに
佐々木は、再び、岩手県工業技術センターの醸造部門に通い始める。と同時に、それまで調理場の片隅で造っていたどぶろくの作業場を、新たに専用の建物へと移した。
しかし、酒造りはなかなかうまくいかなかった。美味しいどぶろくは一向に完成しなかった。
「当然、在庫は全然はけなかった。でも、タンクを空にして新しい酒を造らないと、僕の技術は上がらないじゃないですか。宿泊客にもどんどん飲んでくださいと言っても誰もおかわりする人はいなくて。最後は4合瓶を100円で売ったりしていた」
行き詰まった佐々木は、思い切って2週間、民宿を閉じて、勉強にあてることにした。
佐々木が向かったのは、奈良県の蔵元「久保本家酒造」。杜氏の加藤克則のもと、20代後半の若者は、酒造りの真髄を一気に吸収していく。
「麹づくり、酒母づくりをタイミング、タイミングで見せてもらった。加藤さんの酒や人に向かう姿勢のすべてが衝撃でした。一番は、地道な作業、土方作業の先に酒造りがあるということを体感したこと。その後の僕の酒質となっているのは、この短い期間に学んだことでした」
この2週間で学んだことは計り知れず、佐々木のどぶろくの酒質は急速に上がっていった。
佐々木は、「自分にとっての地道な作業とは何か」と考え、すぐに答えを見つける。それは、やはり「米づくり」だった。
「それまでも自然栽培で田んぼはやってたんですが、奈良から帰ってきて、田んぼに対する取り組みもがらりと変わった。行く前までは本当の自然栽培の意味がわかってなかったんです」