東京からゆうに4時間はかかる「とおの屋 要」に、人はなぜ魅せられ、訪れるのか。

 単に美味しい料理を出すオーベルジュ、というのであれば、あまたある。

 佐々木要太郎の料理は、ひとことでいえば、「大地の饗宴」なのである。土の声を聞き、風を読み、土地そのものを一皿に封じ込める。地に足のついた偽りのない味。発酵の粋を集めた料理。にもかかわらず、ちゃんと華もある。

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 遠野の大地が醸す料理の数々は、どのようにして誕生したのか。

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「カビは使えるな、と思った」

幼い頃の佐々木

 佐々木要太郎は、中学生のときに一度、料理人を志したことがあった。中学卒業と同時に丁稚奉公に出してほしいと父親に頼んだが、「高校を卒業してないとどこにも引っかからないぞ」とたしなめられ、渋々諦めたのだ。

 盛岡の高校に進んだ佐々木は、やがてインテリアデザイナーをめざすようになる。が、当時知り合った女性と結婚を決意。専門学校に進むことをやめ、盛岡で会社員として働く。その後、離婚を機に2歳の娘を連れ遠野に帰郷。そのとき、どぶろく特区の話が持ち上がり、実家である「民宿とおの」を継ぐ決断をする。

「どぶろくをつくり始めると、途中で、料理の必要性を感じ始めたんです。民宿を親父から継ぐとなったときに、どぶろくだけでなく、料理も大事になってくるだろうと思ったんです。京都で板前をしていた親父からは『和食の世界に入るんだったら、絶対に茶事をやったほうがいい』と言われていた。実際に、お茶事を始めたら、料理にもどっぷりはまってしまった。あとは親父が先生になって、魚のさばき方や動物の解体の仕方、養殖ウサギの調理とかを勉強していったんです」

脂ののった海うなぎの白焼き ©文藝春秋

 自然環境の中に身を置いて、稲を育て、どぶろくを造り、漬物をつくりとやっているといろいろな世界が見えてくる。

 たとえば、そのひとつがカビだった。いま、佐々木はカビをも料理で使いこなすのだが、ヒントは、生ハムをつくっているときに得た。

「生ハムを減塩で仕込んで、アミノ酸の数値を上げようと吊るしていたら、カビがついてて、おっ、と思ったんです。カビが繁殖した2本の生ハムのうちの1本はカビをふき取り、1本はカビをつけたままにしていた。そこに、ハエが卵を産みつけるんですけど、カビがはえているほうの生ハムは卵を産みつけられても、あっという間にカビに侵食されちゃうんですね。そのときに、カビは使えるな、と思ったんです」

カビを棲みつかせた生ハム ©文藝春秋

 こうした気づきが毎日山ほどあり、すぐにそれを料理に反映していけるのが佐々木の強みだった。

 佐々木が発酵を促すために使うのは、重石だ。圧力をかけることで、発酵が進むことを発見して以来、重石が欠かせない。