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アメリカが世界の地名を”パクった”理由 なぜ「モスクワ」も「カイロ」もあるのか

『カラー新版 地名の世界地図』より

2020/10/06

source : 文春新書

genre : エンタメ, 読書, 歴史, 国際

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 ルイジアナを最初に訪れたヨーロッパ人は、1528年、スペインの探検家パンフィロ・デ・ナルバエスで、ミシシッピ川河口に到達した。次は1542年、これもスペインのエルナンド・デ・ソトが、ルイジアナの北部と西部を通り、ミシシッピ川を下ってメキシコ湾に到達した。しかしスペインの探検はそれまでで、ここに進出してき たのはフランス人とフランス系カナダ人の遠征隊だった。1682年、フランス人のラ・サールがミシシッピ川流域を探検し、ミシシッピ川流域の広大な地域をフランス領と宣言した。そして、時のフランス国王ルイ14世にちなんで、ルイジアンヌ Louisiane「ルイ王のもの」と名付けた。

ルイの町はケンタッキー州で最大の町に発展

 しかし、1755年にはじまったフレンチ・インディアン戦争で不利になったフランスは、1762年、この地域をスペインに譲渡し、このときから地名も Luisiana とつづられるようになった。その後、1800年にフランスが再び取り戻したが、1803年、フランスからの購入によってアメリカ領となり、地名もフランス語表記とスペイン語表記をそれぞれ取り入れてLouisiana とつづるようになった。1812年、18番目の州になり、上流地域はミズーリとして1821年に24番目の州になった。

 

 歴史的にみて、フランスの影響がかなり大きかったアメリカ合衆国の地名には、その名残りがいまも残されている。とくに、イギリスに対しての独立戦争の時代には、フランスと同盟を結んだこともあって、フランス語の「町」を意味する接尾辞「ビル -ville」が好まれたようだ。

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 1778年、独立戦争で勝利した一団が、オハイオ川を上流に向かって進んでいたとき、植民を目的に同行していた何家族かが、オハイオ川の南岸にある場所を定住地に選んだ。そのとき彼らは、当時のフランス国王ルイ16世にちなんで、そこをルーイビル Louisville「ルイの町」と名付けた。現在、ルーイビルはケンタッキー州で最大の町に発展している。

 なかには、わざわざ英語名の末尾をフランス風に変更したものもある。

 たとえば、フロリダ州で最大の都市、ジャクソンビル Jacksonville 「ジャクソンの町」は、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンの名にちなんだものだが、この地は、彼が1821年に、最初の植民地知事に任命されたところだ。明らかな英語名に、フランス語の接尾辞がつけられてしまったのだ。

 フロリダ州には、ほかにも、フロリダ大学の所在地として知られるゲーンズビル、テネシー州には州都ナッシュビル、ノックスビルなどがある。ちなみに、この町の名ノックスは、ワシントンのもとで初代陸軍長官を務めたヘンリー・ノックス将軍の名にちなむものだが、彼はスコットランド系である。