地名は、道路のかたわらに立つ単なる標識ではない。それは何千年にも渡る人間の営みの、すべてが眠るタイムカプセルなのである。人間の知恵がつまった世界の地名について、『カラー新版 地名の世界地図』(文春新書 21世紀研究会編)より、一部を抜粋して紹介する。

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ピーターの町とルイの町

 バージニア州は、もっとも早くに植民地がおかれた地域であることから、州のニックネームもthe Old Domination(古い領地)である。

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 1607年、イギリス国王ジェームズ一世の名にちなんだ最初の植民地ジェームズタウンが建設され、植民がはじまった。1624年、イギリスの直轄植民地となったが、18世紀になるとしだいに本国の植民地政策への不満が高まり、1775年、この地から独立戦争がはじまった。

 1781年、ジョージ・ワシントンがアメリカに勝利と独立をもたらした後、1788年、10番目の州として合衆国に加わる。1861年、南北戦争がはじまると、ここバージニアには南軍の拠点がおかれた。

 

 バージニアは「処女地」という意味だが、これは、エリザべス一世が、”the Virginia Queen of England”(イギリスの処女王)とよばれていたことによる。もちろんそれが新天地のイメージに合う名だったということもあっただろう。

 ところで、州都リッチモンドは、ウィリアム・バードが、イギリスの王族の居所として有名だったリッチモンドにちなんで名付けたものだが、彼は「王」にまつわる名が好きだったようで、もうひとつ興味深い地名を残している。  

 18世紀頃、リッチモンドの南30キロほどのところにピーター・ジョーンズという毛皮商人によって拓かれたピーターズポイント Peter’s Point”という交易基地があった。

 バードはのちに、ここを町にするとき、ピーターズバーグ Petersburg「ピーターの町」としたのだが、そのアルファベットをローマ字読みにすると「ペテルスブルグ」。そう、ロシアのサンクトペテルブルグ Sankt Peterburg と同じなのである。サンクトペテルブルグは、18世紀のはじめにピョートル大帝がロシアのヨーロッパ化をめざして建設した新都市だったが、その夢にバードが影響されたのだ。ただサンクト(聖なる)は、カトリックの名称だったため、ピューリタンだったバードは、そこまでは真似できなかったということらしい。