だが、その複雑な多面性、心の中に隠した暗い影が明るい光を飲み込んでしまったのだ、という見方に、残された映像を見ながら僕は今も納得できずにいる。映像の中の彼が見せるのは、まるで一流スポーツ選手やバレリーナが自分の身体を指先までコントロールするように、自分の心身を完全に操った見事な演技だ。
これはドラマの中の役柄がそうだから、というのもあるだろうが、悩みつつ新たな役を作り出そうと挑戦する年下の主演女優・松岡茉優をむしろサポートするように、『カネ恋』の猿渡慶太を演じる三浦春馬の演技は安定し、タフで明るいユーモアに満ちている。ドラマの撮影スタッフの言葉を伝える報道によれば、演技の方向性でスタッフと議論を交わす松岡茉優に「彼女がやりやすいようにやりましょう、僕はそれに合わせて演じていきます」と三浦春馬が語ったのは「その日」2020年7月18日の前日、最後の収録になってしまった日なのだという。
「彼女のやりやすいように」は僕たちが知る三浦春馬そのもの
いったい、そんなことがありえるのだろうか? 「彼女のやりやすいように、僕はそれに合わせる」という言葉は撮影スタッフからの伝聞ではあるが、僕たちの知る「三浦春馬らしさ」にあふれている。
主演舞台が無念の中断に追い込まれた千秋楽の挨拶でも、彼は舞台の上の子役を気遣って「千秋楽おめでとう」「ありがとう」という言葉を選び、自分の時間を削って共演者一人一人に挨拶の時間を作っていた。
作品をさらに良くするために何ができるか、と自分を追い込む年下
そうした謎は、三浦春馬の周囲だけにあるのではない。報道で知られる通り、芦名星、竹内結子、藤木孝といった名優たちがわずかな期間に相次いで命を落とした。
報道によれば竹内結子は前日に生まれたばかりの第2子を抱いて義父とテレビ電話で話し、「コロナがおさまったらまた家族みんなでそちらに帰りますね」と話していたという。彼女と共に時代を生きてきた多くの人々がその死に驚き、戸惑っている。
悪天候の飛行機にトラブルが起き、救難信号を出しながら高度を下げてついに不時着するのではなく、直前まで上空を安定運行していた機影が突然レーダーから消失し連絡が途切れるような、信じがたい訃報が次々と届く。日本の芸能史において、ここまでの短期間にこれほどの名優たちの訃報が重なるのは前代未聞の事態だ。当初は色めきたったメディア報道さえ、あまりに相次ぐ事態に顔色が変わりつつある。
もしかしたら僕たちは、「わからない」ということに対してもっと謙虚になるべきなのかもしれない。G7で最悪水準を記録する日本の自殺死亡率の中には、はっきりとした原因もわからず遺書もない死が以前から多く含まれている。死には必ず分かりやすい理由があるはずだ、という物語を求める世間の欲望は、残された家族や友人を時に追い詰め、自責の念を抱かせる。
もちろん全体として、このコロナ禍の状況下で自殺が急増していることを論じ、社会として対策やケアを充実させることは大切だ。死の背景に存在する社会的な問題について考えることは止められるべきではない。
だが同時に、一人一人の死についてわかりやすい物語を求め、人々がそう思いたいように死者を押し込めることについてもっと慎重になるべきなのかもしれない。一見理由があるように見える遺書のある死、「~を苦にして」といった紋切り型で報じられる死にも、本当は本人にしかわからない、もっと複雑な真実があったかもしれないのだ。