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名前が分からない、喋れるのは「お母さん」「わかんない」だけ…脳梗塞になった清水ちなみが明かす失語症の日々

「OL委員会」の人気コラムニストが忽然と姿を消した理由 #3

2020/10/18

 そんな私の口に、いきなりゼリーを入れた女の先生がいたのです。

「何? 誰? どうしてゼリーをくれたの? とりあえずありがとう!」といった感じで、私には訳がわかりませんでしたが、じつはその人が言語のリハビリを担当する先生だったのです。ちなみに、私の中に「ゼリー」や「リハビリ」という言葉はまだありません。

 翌日、また同じ言語の先生が現れ、別室に案内された時に初めて「これが私の先生なんだ」と認識しました。

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32歳。OL委員会代表としてメディアで活躍していた頃

ほとんど赤ちゃんからの出発

 最初にペーパーテストを受けました。鉛筆を渡されて、「答えを紙に書いてください」と言われたのですが、答えを書く以前に、当時の私の右手の握力はゼロだったので、左手で鉛筆を持つ練習から始めました。当時のことは、じつはよく覚えていません。ほとんど赤ちゃんからの出発で、世界を把握すること自体が、まだできていなかった、ということでしょう。

 国語や算数など、失語症のテストもいくつか受けました。

 たぶん、言語の先生(言語聴覚士)が共通して使用するテスト(SLTA 標準失語症検査)だったはずです。

 私はいくつかの病院で、このテストを4回か5回受けましたが、内容はすべて同じでした。言語聴覚士の先生が代わっても、テストの結果を見れば、患者の回復がどれくらい進んでいるかがわかります。テストでは聞く力、話す力、読む力、書く力、計算する力などが評価されますが、リハビリをするたびに、少しずつ結果が良くなるのです。

©️iStock.com

 私が最初に受けたテストの結果は散々だったはずです。先生は私に正しい答えを教えてくれないし、教えてくれたとしても、私には理解できません。

「あなた、こんなんじゃどうするの?」という先生の言葉は、とてもよく覚えています。きっと唖然としたんでしょうね、私があまりにもできないから。

 でも私からすれば、話せなくても心の中では言いたいことがある訳です。たとえば私が「お母さんわかんないからお母さんでお母さん」と喋っている時には「何日もお風呂に入っていないから入りたい」と伝えたいのです。でも、それは相手にはまったく伝わらず、私も心の中で「わからないだろうなあ」と思うだけ……。