文春オンライン

名前が分からない、喋れるのは「お母さん」「わかんない」だけ…脳梗塞になった清水ちなみが明かす失語症の日々

「OL委員会」の人気コラムニストが忽然と姿を消した理由 #3

2020/10/18
note

「失語症は、言葉がわからない国に放り出されたようなものだ」とよく言われます。聞き取れない、話せない、相手の言ったことを繰り返せない、名前が言えない、説明ができない、計算ができない。

 失語症にはいろいろなタイプがあって、同じ症状の人はいないのだそうです。

 左脳の4分の1を失った私は、失語症だけでなく、右目の視野が欠け、右手が使えず、右足もうまく動かせません。脳梗塞患者は車椅子生活になることが多いのですが、歩けたのは幸運でした。

ADVERTISEMENT

自分で髪が縛れるようになるまで5年かかった

 リハビリの目標は日常生活が送れるようになること。言語聴覚士(失語症、聴覚、音声)ばかりでなく、作業療法士(家事、食事、移動など)、理学療法士(運動、生活活動など)の方々にお世話になりました。お医者さまは「お箸を持つときは右手の方がいいですね」と持ち方を教えてくれました。

 毎朝きてくれる看護師さんは、体温や血圧をチェックするとともに、髪が長い患者の髪の毛をゴムで縛ってくれます。体が硬くなってしまった多くの患者にとって、腕を後頭部に回して髪の毛を縛るという動作はとても難しいことなんですね。私はゴムで自分の髪が縛れるようになるまで、5年ぐらいかかりました。

 たぶん、手術は体を硬くするのでしょう。長く体を動かさないと、関節の変形や筋力低下などさまざまな不具合が起こるのです。手術直後はまったく上がらなかった私の両肩を、運動の先生(理学療法士)が、徐々に上がるようにしてくれました。

 ちなみに入院患者は、死ぬか生きるかの瀬戸際ですから、髪の毛なんか知ったこっちゃありません。髪の毛はどんどん伸び、白髪染めもしないので、白黒、こげ茶、赤茶、オリーブ、紫色などグラデーションでカラフルです。

©️iStock.com

 さて、手術から1カ月ほどが過ぎた12月の終わり、正月休みの関係で、一時帰宅が許されました。

 旦那の運転で家に帰る途中、寒かったので暖房をかけたいと思いましたが、赤いランプと水色のランプ、どっちが暖房かがわかりませんでした。そもそも「色」もわからない。「暖房ってこっち?」と聞きたかったのですが、口から出た言葉はまたしても「お母さんがお母さんでお母さんでわかんない」。結局、寒いまま自宅に着いてしまいました。

【続き】「失語症になった清水ちなみが「母には絶対内緒に」と頼んだ理由」へ

※最新話は発売中の『週刊文春WOMAN 2020秋号』でご覧ください。

名前が分からない、喋れるのは「お母さん」「わかんない」だけ…脳梗塞になった清水ちなみが明かす失語症の日々

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

週刊文春WOMANをフォロー