盤上盤外で「隙なし」だった豊島
相手の入玉がちらついても豊島は冷静だった。慌てず騒がず、丁寧に逆転の芽を摘んで、着実に追いつめていく。
指し手が進むにつれ、永瀬は身をよじり、うつむく時間が多くなった。敗戦にあらがおうとする姿に苦しさがにじみ出る。一分将棋が長く続いているのでなければ、投了直前には敗者側の気持ちはある程度整理がついている。その前の時間帯に不利な側の苦悩が表れるものだ。
受けなしに追い込む最後の決め手となる歩打ちに、永瀬が席を外す。すると、豊島は用意していた小分けのチョコレートを食べ、目薬を差した。相手がいない中で駄目を押した。本局の豊島は盤上だけでなく、盤外でも完璧といえるほど隙がなかった。
3ヵ月、いや、新型コロナウイルスの影響で延期になった時期も含めると、5ヵ月にわたるタイトル戦がついに終わろうとしている。
永瀬は上着をきて、水を飲み、マスクを着ける。消費時間を示すタブレットの電源が落ちるハプニングが生じた中で、永瀬が「負けました」と頭を下げて投了。豊島新叡王が誕生した。
鈴木九段は「逆転の雰囲気は出ていると思ったけど」とつぶやいた。苦しいなりに、永瀬らしい展開になりそうと思っていたようだ。しかし、粘りらしい粘りができなかったのは、豊島の指し手の精度が高かったことの表れだ。感想戦では、実戦よりは後手が有力という変化はあったものの、有利になる順は出なかった。
近年のタイトル戦では先手勝率が高い
豊島は7月初旬の第2局で持将棋になって以降、しばらく白星に恵まれなかった。それでも、第8局と第9局は「割と自分らしく指せた」と手ごたえのある勝ち星でタイトルを奪取した。「名人戦は内容も悪く失冠したので、結果を出せてよかった」と語る。
2018年度以降のタイトル戦は全体的に先手勝率が高い。永瀬はトップ棋士の中では先後の勝率差は少ないほうだが、今回は先手2勝1持将棋1千日手、後手1勝4敗1持将棋と、後手番の苦戦が失冠につながった。角換わりの後手番は本局含めて0勝3敗1持将棋。スペシャリストの豊島の強さが光った。「先後で勝率の差が出てしまったので、それを埋めないといけない。タイトル戦の回数はまだ少ないので、局数を増やせたことはとてもいい経験になった。それをよい糧にできれば」と永瀬は前向きにコメントした。
感想戦後、豊島はファンへのメッセージの中で「このあとも戦いは続いていく」と述べていた。それは豊島だけでなく、負けた永瀬やほかの棋士にもいえることである。本局の3日後に第68期王座戦五番勝負第3局が行われたが、永瀬は叡王戦のダメージを思わせない内容で久保利明九段に勝った。9月25日には豊島と木村九段の王将戦挑戦者決定リーグが行われ、豊島が勝った。長かった第5期叡王戦は終わったが、長い棋士人生をかけた戦いはこれからも続いていく。
写真=君島俊介
INFORMATION
第5期叡王戦七番勝負第9局 棋譜
http://www.eiou.jp/kifu_player/20200921-1.html
第5期叡王戦七番勝負第9局
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv327290479
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