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特集観る将棋、読む将棋

叡王戦ついに決着 シリーズ総手数1418手の激闘を名場面でふりかえる

豊島将之新叡王誕生 写真で見る「第5期叡王戦七番勝負」

 ついに長い夏が終わった。3カ月に及んだ熱戦は、挑戦者・豊島将之竜王が4勝3敗2持将棋で永瀬拓矢叡王を下し、タイトル奪取という結果となった。

 第5期叡王戦七番勝負は、異例ずくめのスタートだった。当初4月に開幕予定だったが、コロナ禍で延期が決定。6月21日、ようやく伊豆今井浜温泉 今井荘(静岡県)で第1局が始まった。ちなみに前期は、5月11日の段階ですでに「新叡王」が誕生していた。

挑戦者・豊島将之竜王(右)が永瀬拓矢叡王(左)からタイトルを奪取した ©君島俊介

 異例だったのはスケジュールだけではない。持将棋(=引き分け)が2局続き、フルセットにもつれ込んだ番勝負は史上初の「第9局」へ。千日手局も加えると、実質的に「十番勝負」となった。シリーズの総手数1418手は、タイトル戦史上最長記録を大きく更新した。

 文春オンラインでは、第5期叡王戦七番勝負全局の観戦レポートを掲載してきた。そんな「十番勝負」の名場面を写真とともに振りかえっていきたい(肩書き・段位などは対局時のもの)。

第1局(6月21日、伊豆今井浜温泉 今井荘、永瀬拓矢●ー豊島将之○)

 スクリーンを埋め尽くす「弾幕」が、ニコニコ生放送の将棋中継、そして叡王戦が戻ってきたことを感じさせる。緊急事態宣言中に“飢え”を感じていた観る将ファンにとっては、この上ない福音となったはずだ。

 会場となった今井荘は、叡王戦のために貸切営業となり、対局室も十分な「ソーシャル・ディスタンス」を確保して設営された。ファンイベントや大盤解説もなく、いつもとは違った雰囲気の中で七番勝負が始まった。

 永瀬の先手番で戦型は角換わり早繰り銀となり、序盤は両対局者が猛スピードで飛ばす。

 ところで、永瀬は千日手が多い棋士としても知られている。将棋に対するストイックさから「軍曹」と呼ばれ、勝つまでは何度でもやるとばかりに指し直しを厭わない。実は、過去に出場した第87期棋聖戦と第67期王座戦でも、第1局で千日手となっている。果たして本局でも、夕食休憩後に千日手となった。

 21時に始まった指し直し局は23時13分に終局。秒を読まれた永瀬が頭を下げ、投了を告げた。後手番となった本局では右玉に構えたが、翌朝には「予定でした。千日手上等でした。そういう戦法ですしね!」と明るく答えたという。

先手番となった永瀬叡王(ニコニコ生放送将棋公式Twiter @nico2shogiより)
今井荘の眼前に広がる浜辺では、かつて王将戦名物の「罰ゲーム」……ならぬ記念撮影が行われたことも ©松本渚
千日手成立を受け、慌てて対局室に向かう関係者 ©松本渚
豊島竜王・名人が入室して、いよいよ指し直し局が始まる ©松本渚
翌朝、帰りの電車で週刊少年ジャンプを熟読する永瀬叡王 ©松本渚

やっと訪れた“春の決戦”、永瀬拓矢叡王の盤側には8本のバナナが置かれていた(松本渚)
https://bunshun.jp/articles/-/38832

第2局(7月5日、城崎温泉 西村屋本館、持将棋)

 第1局での千日手は、ほんの序章に過ぎなかった――。

 マンガならば、そんなナレーションが付きそうな展開だった。途中、評価値的には永瀬に形勢が傾いていたようだったが、互いの王将が入玉(敵陣に入ること)して、最後は豊島が永瀬の駒を1枚取るかどうかの際どい攻防が繰り広げられた。結局、豊島が1点の確保に成功して、222手で持将棋が成立した。

 局後、永瀬は「持将棋、千日手は割と持ち味だと思うので、その点は楽しんでいただけたらいいなと思います」とインタビューで語り、ニコニコ生放送の視聴者は大いに沸いた。

午前10時、豊島将之竜王・名人の先手番で対局が始まった ©小島渉
対局場の「西村屋」は安政時代に創業した老舗旅館 ©小島渉
第1局では8本だったバナナは、本局では10本用意されていた ©小島渉
タイトル戦では5年ぶりとなる持将棋が成立した ©小島渉

永瀬拓矢叡王vs豊島将之竜王・名人 「城崎の無勝負」は波乱の幕開けか(小島渉)
https://bunshun.jp/articles/-/39082