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2020/10/18

source : 文春文庫

genre : ライフ, 社会, 読書, 医療, ヘルス

のっぽのサリー

 バスは再び舗装された道へと戻り、丘の頂上から海に向かう長い坂道をゆっくり下っていった。下半身を刺激し続けてきた揺れが収まり、声が漏れた。

「あっ、出た!」

「鈴木さん、駄目だって。少し我慢して。すぐだから。終わるから」

「いや、あれ、原子炉建屋ですよね!」

 左手にテレビで何度も観た3号機と4号機があった。でかい。想像以上だ。支柱だけが残った3号機は、まるで原爆ドームのようで、事故当時、東電社員が撤退したのも無理はないと思った。世界遺産である原爆ドームは、核爆弾の恐怖を後世に伝えるものだが、骨組みとなった3号機は、今も核爆弾以上の放射能をいつ外部に漏らすか分からない。

 バスは4号機脇にあるプロセス主建屋の前に停まった。ここに私の仕事場、東芝製の通称・サリー(Simplified Active Water Retrieve and Recovery System)がある。シェルターの喫煙室で東芝の社員が「魔法使いサリー」とか「のっぽのサリー」と笑っていたから、呼びやすいようこじつけに近い略称に決めたのだろう。サリーは本来、汚染水処理のバックアップのために作られた施設だが、現在、稼働率が悪いアメリカ、フランス製の装置に代わり、メインとして稼働している。

サリー内部(著者提供)

 入口は2つあった。丘陵近く、手前の入口からすぐの場所が、サリーの設置場所になっていた。先輩たちに続いて中に入った。設置場所の左右の壁面には鉄枠で組まれた骨組みがあった。そのあちこちに弁や配管があり、床の塗装もまだで、制御盤も置かれていない。八割方完成していても、メイン装置の設置はまだだ。

 汚染水は流されていないはずなのに、床のあちこちにオレンジ色等の配管があって、その一部がブルーや白いビニールに包まれた鉛板で遮蔽されていた。内部にはあちこちに放射線量を記したプレートが置かれていて、裏口近辺の値はサリー付近より10倍程度高かったから、遮蔽しなければならない理由があるのだろう。たとえ自分が働いている場所であっても、作業員は詳しい事情を教えてもらえない。現場監督に言われるまま目の前の作業をこなすのみで、他の部署となれば、よりいっそう情報が届かない。10シーベルトまで計測できる機器のメーターを振り切るほどのホットスポットが発見、報道された時も、作業員たちはそれをテレビのニュースで知った。現場で分かるのは自分が何をやっているか、その手順だけである。