「女たらしの鬼才」は続々と被害者を生んだ
川崎弘子との関係についても各紙書いているが、東日が最も詳しい。
「昨年(1933年)3月末から10日間、弘子主演で『忘られぬ花』撮影の時、蘭童が伴奏したのが始まりで『孤独で寂しい。自殺するかもしれぬ』と弘子の同情をそそり、その後3、4回文通したり面会したりするうち、うまくつり込んで8月末、妹とともに鎌倉へ誘い、箱根へまで連れ出し、熱海へ回って、初島への船中で弘子の心を捉え、9月1日、弘子の母親を信用させ、母の同意で婚約を結び、絶えず川崎宅へ入り浸って弘子に着物を買ってやったりして、昨年11月ごろからはずっと泊まり込んでいた」
このあたりの新聞報道はいかにもセンセーショナルだ。「蘭童は尺八よりも 女たらしの鬼才 續(続)々現れる被害者」の見出しは3月28日付東朝朝刊。「彼の手にかかった新たな被害者」として26歳の琴の師匠、30歳の芸妓、21歳と20歳のカフエーの女給2人を挙げている。
彼が「7人の女をもてあそんだ」と言われたのは、この4人と川崎弘子、梶原富士子、佐久間としとを合わせてのことだろう。記事によると、いずれも結婚を持ちかけて金をせびり、そのうち捨てるという手口。
4月初旬に発売された雑誌「モダン日本」5月号には「川崎弘子の血と涙の手記『結婚魔福田蘭童に抗議する』」という記事が載っている。内容は見出しとは裏腹に「私は福田さんにそう悪意があって自分をだまそうとしたとは考えていません。そして、世間で評判の悪いのは、みんな現在の結果から推して、その性質を悪い方面へばかり勝手に想像してみるからだと、そう思えて仕方がありません」と、全体として蘭童に同情的なのが目立つ。
しかし、既に流れは決まっていた。4月22日付東朝朝刊は、検察に送ることが決まって捜査員が被害者らの調書を読み聞かせると「さすがの蘭童も『自分では忘れていましたが、そんなに多くの女を相手にしていたんですかね』と西鶴の(好色)一代男のような感想を漏らしたという」と書いている。ついに5月15日には起訴された。