<「自分はそんなに多くの女を相手にしていたんですね」“昭和のドンファン”福田蘭童結婚詐欺事件とは より続く>
「蘭童臆面もなく 醜をさらす」
6月11日、初公判。6月12日付東朝夕刊によると、蘭童は「(梶原)富士子は私が結婚の意思がないことを知っているはずです。私は酒を飲んで女給にお嫁に来ませんかと言うのは口癖です」と供述。「(警察・検察は)自分の申し立てを聞かずに被害者の言い分のみを中心として調書を作った」などと弁明して「蘭童臆面もなく 醜をさらす」(見出し)結果に。
6月18日の公判には富士子と母親が出廷。母親が「蘭童さんは夫として適当な人だと考えたので、結婚の約束をしたのです。それで昨年6月に100円、9月に300円を出してやりました。これは結婚の約束があったればこそ出してやったのです」と「子を思ふ(う)母が 愛と熱の證(証)言」(6月19日付東日夕刊見出し)。「乙女心を蹂躙(じゅうりん)した 蘭童の假(仮)面剥(は)ぐ」(同東朝見出し)展開。「早朝から傍聴人が殺到し、法廷が狭隘なために臨時に1号法廷に変更するという大変な騒ぎだった」(東朝)。
富士子はその少し前に出た「モダン日本」7月号に、「梶原ふじ子」として「川崎弘子嬢へ」という写真入りの短い手記を載せている。「天才の御名にカモフラージュされた福田氏の仮面があばかれた」と言い切り、川崎弘子が「管原さん」と呼んだことを「勝手ながらご遠慮申し上げます」と突き放している。
8月13日、求刑。8月14日付東朝夕刊によれば、検事はこう述べた。「公訴事実は証拠十分なるにかかわらず、被告人は当公判廷で警察及び検事に対しての自白を翻し、その過酷な取り調べを非難しているが、もはやその罪状は明白なものである」。
さらに「蘭童が現在においても改悛の情なきをなじり、芸術上の天才は当職も惜しいところであるが、その罪は罪として憎まざるを得ない」と懲役10ヵ月を求刑した。同月17日の判決も求刑通りの実刑に。
8月18日付夕刊で読売は、判事が「社会的影響は甚大であるにかかわらず、被告はなんら改悛の意を示さない。ゆえに執行猶予の恩典も与えない」と述べたと報道。東朝の見出しは「蘭童、青菜に鹽(塩)」で、東日は「瞬間、顔色を変えたが、悄然として退廷した」と書いた。即日控訴したが、控訴審では態度が変わってくる。