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はじめてみた死刑判決の瞬間

 その背中を傍聴席から遠く見つめながら、ぼくは、公判中に岡崎がこう話していたことを思い出していた。

 岡崎が林郁夫の法廷に証人として呼ばれていった時のことだった。教団の草創期を知り、共にオウム事件で自首をした間柄。そこで林郁夫の弁護人が、こんな質問をしたことがあった。

「世の中に、今後、オウムのようなものが出ないようにするためには、あるいはこんな事件を防ぐためには、どうしたらいいと思いますか」

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 その時、岡崎は「私が言ってはアレですが」と前置きしてから、答えた。

「まず、教育改革ですね」

 そういってニヤリと笑った。その人を食ったような笑い顔を、いまでも忘れることができない。

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 その男が死刑になった。

 これが、ぼくがはじめてみた死刑判決の瞬間だった。

 同時に、裁判所の畏敬ともつかぬ恐ろしさを見たような気がした。

 ところで、この死刑判決には、後日談がある。

 岡崎の判決に署名、押印した3人の裁判官。

 そのうちの左陪席とは、それから10年後に広島高等裁判所で、ぼくは再会する。山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で左陪席を務めていた。この時も、犯行当時18歳の少年だった被告人に死刑の判決を言い渡している。彼はまた、Y裁判長といっしょに、林郁夫を無期懲役とした判決にも加わっていた。

 それから、もうひとり右陪席だった女性裁判官。彼女もまた10年後に名古屋地方裁判所で裁判長を務めるまでになった。そこで、闇サイトを通じて知合った男性3人が、帰宅途中の見ず知らずの女性1人を襲って殺害した事件を担当。被害者が1名でも死刑になるのか、注目の集まった、いわゆる闇サイト殺人事件で、2人に死刑、1人に自首の成立を認めて無期懲役判決を言い渡していた。

 あとになって感じるところだが、死刑を言い渡す側にも、どこかにつながった糸のようなものが、あるのかも知れない。

 そして、岡崎と林郁夫に判決を言い渡したY裁判長。出世を拒んで判事を退官。いまは、東京の弁護士会に所属する弁護士となっている。

私が見た21の死刑判決 (文春新書)

青沼 陽一郎

文藝春秋

2009年7月20日 発売