「コラ、おまえ、何しとんや! 」
事件のあとに古川組本部で開かれた総会で、いつになく激昂した古川初代の姿を私はいまも覚えている。人目をはばからず、幹部たちの前で声を荒らげて恵一を怒鳴り散らした。
「コラ、おまえ、何しとんや!小山がしっかりしてるからええようなものの、ヘタしたら、ウチの者みんな懲役行っとるんやぞ。ええ、このブタマン!」
これは私の推測だが、山下の射殺事件に恵一も一枚噛んでいたのだと思う。逮捕された小山と高橋はいずれも暴走族時代の仲間であり、恵一が指示を出していたとしても不思議ではない。また、事件の前に私の兄弟分である古川組舎弟・田中茂がたまたま東京に行った折、「叔父貴、そこにいると危ないでっせ」と恵一に妙なことを注意されたというのだ。
いまとなっては知る由もないが、古川初代もそのことを知っており、恵一に喝を入れたのだと思う。
古川初代はひととおり怒りをぶつけると、そのあとすぐ恵一に入れ墨を入れることを命じた。おそらく懲役に行くことを見越してのことだろう。懲役に行っても立派な彫り物があれば同房の者にもナメられることはない。あるいは長い刑務所生活に耐える根性を身につけさせるためだったのかもしれない。
それからというもの、恵一は毎日8時間、一日の休みもなく彫師のもとに通った。恵一にとって親分の言葉は絶対である。これはたいした根性だった。普通、1日8時間も体を針で傷つければ、どんなに腹の据わった男でも1日、2日は休みたくなるものだ。それを毎日、「兄貴、今日はこれだけできました」と仕上がりを私に見せに来て、唇を紫色にしながら耐え続けたのだ。
彫り始めから数カ月で恵一の体には立派な甚平彫(じんべいぼ)りの虎が彫り上がった。そのころには事件の話も立ち消えになっていた。