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「食べられてでも一つになりたい」海に暮らす生き物のロマンに満ちた“生殖”行為

『〈オールカラー版〉魚はエロい』より #1

2020/11/02

魚の卵と『風の谷のナウシカ』

 生物が生きていく上で一番の基本は弱肉強食、食うか食われるかである。一番初めに思い浮かべるのは他の魚や生物が相手を丸ごと食するシーンだが、その他に微生物による腐敗や分解がある。

 メダカを例にとって考えると、森の中の池に暮らすメダカは産卵期になると、水面付近の水草に卵を産みつける。もしも卵が水草から落ちてしまうと、水底には泥があり、瞬く間に微生物や菌類によって分解され、また泥の中の生物によって食べられてしまうだろう。メダカの親はこんな泥から卵を遠ざけるため、水面付近に産みつけているように見える。

 しかし、この泥にはとても重要な役目がある。有機物を分解し澄んだ水の環境を維持している。泥の状態が良いほどメダカは生育しやすいが、この泥が元気で健全なほど卵にとってはとても危険な存在になる。このようなことが宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』で描かれている。

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 劇中に登場する、腐海と呼ばれる森のような場所では、汚染された猛毒の空気が充満し、不気味な生物がうじゃうじゃ暮らしている。人間が腐海に落ちると、この不気味な生物たちが襲いかかり、ひとたまりもない。

 その一方で腐海は地下に綺麗な水を作っている。腐海を泥に、人間を卵に置き換えると、その関係性がそっくりなのである。宮崎駿監督も泥の生態系の話を意識していたようで、ナウシカは秘密の研究所まで持って、腐海の菌類を研究しているのだ。

砂につかないよう岩の裏面に産みつけられているサビハゼの仲間 ©瓜生和史

アナハゼの「アナ」の意味

 さて、スポンジの穴を覗き込んでいるアヤアナハゼが何をしているかというと、このことから、スポンジが元気か否かを吟味している行動と察せられる。スポンジが弱っていて濾過(ろか)能力が落ちている、もしくはスポンジが腐り始めている状態は、泥の危険が迫っているということであり、卵にとって致命的である。スポンジが出す、とても緩やかな水の流れや、腐敗の匂いを確かめるために顔を近づけているのだろう。私の妄想からすると、アナハゼの「アナ」の由来はスポンジの「穴」になる。本当は、穴を覗くというちょっとエロい行動を期待していたのだが。実際はいまだ不明である。

「食べられてでも一つになりたい」海に暮らす生き物のロマンに満ちた“生殖”行為

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