初戦の相手は、野球帽の少年
――小学生名人戦に参加されたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
中井 第4回大会で、同郷かつ同学年の中座君(真七段)がベスト4入りしました。その翌年に「広恵ちゃんも出てみれば」と中座君のお父さんに声をかけられたのがきっかけですね。情報が地方へ届きにくい時代でしたから、参加者の中で誰が強いかなどということがわかりませんでした。今の小学生名人戦は地区予選がありますが、当時は会場の将棋会館に全員が集まっての一発トーナメントです。手合いをつけるのが大変なので、誰と指してもよかったんですが、初戦の相手が野球帽をかぶっていました。
――その帽子が赤かったならば、どこかで聞いたような話ですね(笑)。
中井 色は覚えていませんが、彼の前には誰も座ろうとしていなかったんです。ちっちゃい子だったからこの子なら勝てると思ったら、実は強いから誰も座ろうとしなかったというのは後で知りました(笑)。もっとも、羽生さん(善治九段)本人も、当時のことは覚えておらず、私に付き添ってくれた方が、この時の記録を残しておいてくれました。
――翌年の第6回、ベスト4には佐藤康光(九段)、畠山成幸(八段)、ベスト8に羽生善治、中座真という、後のプロ棋士の名前が見えますね。
中井 改めて見ると、参加者の半分くらいは奨励会に入っていますね。私は運がよくて勝ち上がっただけです。自玉が詰んでいたのに相手が香と間違えて桂を打ったとか、あるいは王様の素抜きをうっかりしたとか。その将棋を隣で森内君(俊之九段)が見ていて「ものすごい速さで王様を取っていた」と後に言われました。
女の子は数えるくらいですね
――結果は準優勝。女子としては史上初で、現在に至るまでも女子の最高成績です。ベスト4入りを果たしたのも、第29回大会参加の伊藤沙恵女流三段と、第35回大会参加の中七海奨励会三段の2名しかいません。第6回当時、女子の小学生名人戦参加者はどのくらいいたのでしょうか。
中井 参加者は200~250人ほどだった思いますが、女の子は数えるくらいですね。のちに女流棋士となった大庭美夏ちゃん(女流初段)、美樹ちゃん(女流初段)の姉妹は出ていました。
――女流棋士として同時代を戦った林葉さん(直子女流五段、後に退会)、清水女流七段、山田久美女流四段といった方々はいかがでしたか。
中井 おそらくですが、出ていないですね。直子ちゃんは私より2学年上でしたし、清水さんと山田さんは、将棋を始めたのがちょっと遅かったはずです。