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女性の棋力自体がかなり下に観られていた時代

――この頃(80年代)は、女流棋士と奨励会員の両立をされていた時期でもありました。

中井 奨励会では成績が悪く、6級から7級、8級にまで落ち、これ以上落ちると手合い(対局)がつかないのでやめさせられるという土壇場まで行きましたね。アマからの目も厳しく、女性で一番強くても男性に混じると勝てないじゃないかと、しょっちゅう言われました。女流タイトルを持っていることで、イベントなどにおける指導の仕事もありましたが、その時に「8級ならこちらが角を落とすから」と言われたこともあります(笑)。女性の棋力自体がかなり下に観られていた時代ですね。

奨励会試験にて(写真提供:中井広恵女流六段)

――蛸島女流六段が奨励会員だったころは「指し分けでも昇級できる」という女性用の規定がありましたが。

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中井 それはなかったです。昇級規定は普通でしたね。

――年齢制限もあり、奨励会は90年に2級で退会されました。ですが93年、女流棋士枠で出場された第7期竜王戦では「女流棋士が公式戦で初めて男性棋士に勝った」と大きく報道されました。女流棋士の公式戦参加が初めて認められたのは81年ですが、それから行われた38局は全て女流棋士の敗北だったので、中井女流六段が大きな風穴を開けたことになります。

中井 公式戦では私が初めて勝ったわけですが、それまでも非公式戦では他の女流棋士が勝っていたので、たまたまという気持ちが強いです。ただそこに至るまで、女流棋界全体の棋力向上はあったと思います。私が奨励会に入ってから竜王戦で勝つまでが10年ちょっとですが、その間は私に限らず、女性全体の棋力がかなりレベルアップしました。

――レベルアップの要因は何でしょうか。

中井 奨励会に入ってからは、研究会などで男性棋士と指す機会が増えたのが大きかったです。当時も今も、奨励会にいる女子の数はあまり変わりませんが、裾野の人数が圧倒的に違うと思います。将棋を指す女の子が増えれば増えるほど、女性四段の可能性は広がり、現実的な目標になっています。退会された方も、そのあとに棋力は伸びていると思います。

 

――対男性棋士というと、2003年度のNHK杯戦での勝利が特に注目を集めました。青野照市九段を破った一戦ですが、女流棋士が現役のA級棋士を公式戦で破った史上初の対局となります。

中井 NHK杯戦に関しては今でもファンの方などから話されることがあるので、影響は大きかったと思います。青野先生には申し訳ないですが。

――その次戦は敗れましたが、対戦相手が中原誠十六世名人でした。

中井 NHK杯戦だったから上位棋士の方と戦える機会がありました。普通は予選を勝ち上がらないと当たらないような先生とは、対局ができるだけでも嬉しいです。

写真=三宅史郎/文藝春秋

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