間もなく始まる第18期大山名人杯倉敷藤花戦三番勝負、里見香奈倉敷藤花への挑戦権を獲得したのは中井広恵女流六段だ。51歳での挑戦権獲得は女流棋界史上、最高齢での挑戦となる。
長年にわたり第一線で活躍してきたレジェンドに、女流棋界がとげた近年の変化やコンピュータ将棋との付き合い方、そして対戦相手の里見清麗の印象について聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
瀬川晶司現六段のプロ編入試験で、試験官を担当
――1990年代から2000年代にかけての中井女流六段は、清水女流七段と並んで、女流棋界を代表する存在でした。女流棋士代表として世間の注目を集めた1つの出来事が、05年に行われた瀬川晶司現六段のプロ編入試験で、試験官を担当されたことだったのではと考えます。
中井 試験官に関しては事後承諾だったので、詳細が発表されて「あれ、私の名前がある」と、ちょっとびっくりしました。プロ編入試験は今でこそ制度化されていますが、あの時は何でああいうメンバーになったのか、米長先生ならではのパフォーマンスでしょうね(笑)。
――試験官として臨んだ対局へのモチベーションはどのようなものでしたか。
中井 負けたくないという思いはありました。女流棋士で対局するのは私だけだったので、女流のレベルを判断されることになると思いました。取材陣も多く、これまではどちらかというと対男性の対局では私にカメラが向けられることが多かったのですが、初めて背中から取られる経験をしましたね。結果は負けでしたが、将棋の内容は途中までよかったので、そのことも覚えています。
――試験対局に関して、他の女流棋士から何か言われたことなどはありましたか。
中井 「頑張ってね」くらいは言われましたけど、周りの人もどう見ていたんでしょうね。ただ米長先生が「こういう制度は女性のためにもなる。女流棋士も既定の成績を取ればいい」と言い続けていました。当時は私もピンと来ていなく、制度としてはあっても、現実的に女性がその成績を取れるかどうかというと……。ただ今の里見さんや西山さん(朋佳女流三冠)をみると、米長先生の慧眼だったというべきなのでしょうか。
――お聞きしにくいことを伺いますが、女流棋士の独立問題に関して、今だから言えることなどはありますか。
中井 う~ん。あの時は、現実とあまりにも違ううわさ話が飛び交っていて、私たちが聞くと「何それ」と思うようなことばかりでしたね。周りの女流棋士も色々と惑わされた部分が多かったのではという気持ちはあります。何が本当なのかわからなくなっていました。実際に総会で決議されたことが、いつの間にかなし崩しになっていたこともあります。なかなか難しいなあというのが印象的なところですかね。