間もなく始まる第18期大山名人杯倉敷藤花戦三番勝負、里見香奈倉敷藤花への挑戦権を獲得したのは中井広恵女流六段だ。51歳での挑戦権獲得は女流棋界史上、最高齢での挑戦となる。また史上最年少の挑戦記録(13歳)を持っているのも中井女流六段である。
タイトル獲得19期は歴代3位。長年にわたり第一線で活躍してきた、女流棋界のレジェンドにデビュー当時から一時代を築いた時期についてお話をうかがった。(全2回の1回目/後編に続く)
1981年、全国大会にも参加した「第6回小学生名人戦」
――今回の倉敷藤花戦は、中井女流六段にとって久しぶりのタイトル戦になります。
中井 あまりにも久しぶり過ぎて、タイトル戦がどんな感じだったか。前に挑戦したのがいつだったかも思い出せませんね(笑)。(注:2006年度の第33期女流名人戦以来)
――里見倉敷藤花とは、初のタイトル戦になりますね。
中井 里見さんは私の娘くらいの世代なので、今まで戦ってきた清水さん(市代女流七段)たちとのタイトル戦とは、違ったタイトル戦になるのかなという楽しみがあります。彼女と最後に当たったのは5年ほど前ですが、その頃からずっと里見さんはタイトルを持ち続けているので、こちらが勝ち上がらないと当たる機会がありません。挑戦まで勝ち上がるのも大変ですが、久しぶりのタイトル戦を、強い里見さんと楽しみながら指したいですね。
――改めて、中井女流六段の棋歴についてうかがいます。1981年の第6回小学生名人戦が「中井広恵」という名前をメディアで扱った最初だったのではないかと思います。
中井 小学生名人戦にはその前の年にも出ていました。全国大会に参加したのはそれが最初です。その時に師匠(佐瀬勇次名誉九段)に声をかけてもらいました。それ以前にも、札幌で行われていた将棋まつりで、プロの先生から指導を受けたことがあります。
――中井女流六段のご実家は稚内ですが、札幌に行くのでも遠いのではないですか?
中井 札幌までは電車で6時間くらいでしたね。ですから、将棋まつりの前日に札幌に着かないと開始に間に合いません。寝台列車を使うという手段もありましたが。当時は小学生大会に参加する人数が多くて、参加枠に入るのが大変でした。先着順なので、会場のあるビルの階段をみんなで駆け上がったことも。ビルの入り口から会場まで、最速で行けるルートの研究などもしていました(笑)。