11歳10カ月で女流棋士デビュー、林葉さんとの「セーラー服対決」
――その後、佐瀬名誉九段門下の女流棋士として11歳10カ月でデビューされます。千葉県在住の師匠のもとで内弟子生活をされたそうですが、内弟子となったのはいつ頃だったのでしょうか。
中井 学年が変わる、81年の4月ですね。小学校6年生でした。
――内弟子生活を振り返ってみるといかがでしょう。
中井 北海道では父の言われるままに指していました。その後、強くなってからは支部の方に教わりましたね。それまでは「こうすればいい」と手を引いてくれる人がいました。ですが師匠からは「勉強しろ」とは言いましたが「何をしろ」とは言ってくれなかったので、どのような勉強をしていいのかがわかりませんでした。
――デビュー当時のご記憶は?
中井 当時は女流育成会もなく、どういう基準で女流棋士になれたのかなと。小学生名人戦の実績が評価されたのか、あるいは試験対局のようなものがあったのか。プロ入りに関しては全て師匠が手続きを行っていたので、私は覚えていません。ただ「女流棋士になれない」とは思ったことがなかったです。デビュー戦(対寺下紀子女流四段戦)となった第4期女流王将戦で勝ち進み、5者プレーオフになりました。パラマス方式の初戦で直子ちゃんに負けた私は予選に逆戻り。直子ちゃんはそのままタイトルを奪取しました。
――ですが、その翌年の第5期女流王将戦(82年度)で、タイトル初挑戦を決めました。女流棋界が蛸島(彰子女流六段)時代から、林葉・中井時代へと移ろうとしていた頃です。
中井 直子ちゃんとの対戦は「セーラー服対決」と言われましたね。当時の将棋をみると、まだ全然だなと感じます。女=弱いという時代だったので、将棋の棋力は二の次とまでは言いませんが、女性の将棋人口を増やすことが第一とされていたのでしょう。直子ちゃんにはスター性があって、将棋マスコミ以外にも注目されました。その結果として女性にもスポットが当たるようになりました。
――中井女流六段の初タイトル獲得は85年度の第12期女流名人戦です。林葉女流名人を3勝1敗で破っての獲得でした。
中井 それまで何度も直子ちゃんに負かされていたので、やっと取れたという感じですね。