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 ところでティラミスは、首都圏情報誌の『Hanako』が1990年4月12日号で、『女性自身』(光文社)が同年4月17日号で特集したことでブームに火がついた。背景には、乳業メーカーや油脂メーカーが洋菓子店にレシピを提供し、商社が材料のマスカルポーネチーズの輸入量をふやしたこともあると、『ケーキの世界』(村山なおこ、集英社新書)にある。

 あの頃、ブームに便乗するように、さまざまなメーカーがティラミス味の商品を出していた。私が覚えているのは、ティラミスチョコレートぐらいだが、ほかの商品についは、『Hanako』1991年5月23日号が「“ティラミスがブーム”になった理由」で紹介している。チョコレート、パン、シュークリーム、蒸しケーキ、アイスクリーム、キャンディなどのスイーツだけでなく、ハム、スープなどの食事メニューまであったそうだ。この便乗商品が花盛りのさまは、2016年のパクチーブームを彷彿とさせる。あれから30年経ったが、流行に踊るのが大好きな日本人の感性は、それほど変わっていないのかもしれない。

マカロン好き

 マカロンがブームになったのは、2000年代半ばだった。大きなきっかけの一つは、1998年に日本へ進出したピエール・エルメ・パリの旗艦店が2005年、青山にできて注目されたことである。ピエール・エルメは「パティスリー界のピカソ」の異名を取るフランス人パティシエで、マカロンに新風を吹き込んだことで知られる。

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 もともとマカロンは、コーヒー味、フランボワーズ味、バニラ味、チョコレート味などの定番しかなかったが、エルメはピスタチオ味、ローズ味などの新しいフレーバーを次々と出して、カラフルな世界を築いた。そのバリエーション豊かな色とフレーバーが、人気となったのである。

試行錯誤を繰り返してきたダロワイヨのマカロン戦略

 もう一つ、マカロンブームに貢献したブランドが、ダロワイヨである。日本進出は1982年、自由が丘店が最初で現在も同じ場所にある。フランスを代表するパティスリーの老舗だが、日本になじむには時間がかかった。上陸当時の日本で人気が高かった洋菓子は、イチゴショートやスフレタイプのチーズケーキなど、フワフワしたスポンジのシンプルなもの。濃厚なムースやサクサクした硬いタルト生地を使い、小ぶりながら複雑な味わいを持つフランスのケーキは、受け入れてもらいにくかったのだ。日本では、フランスにはない柔らかく冷やして食べるタイプのゼリーを中元用に販売するなど、試行錯誤しながら定着していった。

 ダロワイヨがマカロンの販売に力を入れ始めたのは、日本進出を決めた社長が「なぜフランスで人気のマカロンが売れないのか」と言ったことがきっかけ。2002年頃から積極的にプレスにアピールし、店でもすすめるようになった。多方面にわたる努力が功を奏し、『家庭画報』(世界文化社)2004年5月号に「ダイアナ妃も愛したダロワイヨのマカロン」と広告を出したときは、三越銀座店に1日100件以上の問い合わせが来たという。