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200ドル足らずの所持金で渡米

 通り魔となる前の年、造田は単身渡米している。ところが、この時わずか200ドル足らずの所持金を使い果たして、行き倒れとなり、日本領事館に保護され、ポートランドの教会関係者の世話となる。この関係者宅にホームステイをしていたのが、「造田博教」をつくったと手紙で告白されたキリスト教徒の友人だった。

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 彼は法廷でこう証言している。

「造田さんと最初に会った時は、すごく暗い感じの人でしたが、時が経つにつれてコミュニケーションがとれるようになってきました。一緒に生活をして、お世話をしてくれたホスト・ファミリーの方が、親身になって接していたので、心を開いたのだと思います」(H13・4・20公判証言)

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 ぼくに宛てた手紙でも「ポートランドの教会の人たち」のことを快く書いてくることが多かった。当地での生活は、彼を明るく解き放ったのだろう。

 一方で、これを弁護側は「恋愛誇大妄想」の端緒として主張を展開していた。

 造田には、中学時代の同級生に憧れの女性がいた。渡米の前までに、彼女に交際を申し込む手紙を再三送り、最後は自宅まで訪ねていたが、これを親に断られている。

「渡米した時期に、この女性はシアトルに住んでいた。この女性に会う為に成田からロスアンゼルスに到着後、西海岸を陸路シアトルに向かって北上途中のポートランドで行き倒れとなったのではなかったか」(弁護側主張)

 しかし、造田は法廷でこう答えている。

「シアトルまで行く気はありませんでした……。あの~……、シアトルより、ポートランドが安全だと思って行きました」(H13・4・20/被告人質問)

 なにかを押し殺すような、相変わらず力のこもらない答弁だった。

 それでも、ぼくに届いた手紙には、もっと女性や性的なことについて、能弁に語っていた。