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“変な人はミキサーに入れっぱなしに” “ちゃんとした人に危害を加えるのはダメ” …通り魔の手紙に書かれた矛盾

『私が見た21の死刑判決』より#8

2020/11/21

source : 文春新書

genre : 社会, 読書

 1999年9月8日正午前、人通りの絶えることのない東京・池袋で起きた通り魔殺人事件。包丁と金槌で次々と通行人を襲い、死者2名、重軽傷者6名の被害者を出した。犯人は池袋駅前で取り押さえられ、その場で警察に逮捕された。それから3ヶ月半が経った12月、東京地方裁判所に池袋の通り魔が姿を現した。

 その公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

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恋愛誇大妄想

 それから、彼の送ってくる手紙の一通当たりの紙数も増えるようになった。

 その中でも特に多く触れていたのは、自身の学生時代のことや、学歴についてだった。

 【私は小、中、高と学校に行っていた時、回りの生徒がうるさくてとりあえず高校を出られればいいような気になっていました。(中略)だいぶ宿題も出していないし、家でもほとんど勉強した事がありませんでした】(H13・9・27消印)

 【私は学歴が高くないとなれない仕事(例えば政府の官僚、裁判官とか。)で、学歴が低くても多少低くてもなれるようにするのがいいと思います】(H13・10・9消印)

 【求刑前、私は点がそろったら東大、早稲田、慶応を受けようと思っていました。今もいらないと思いますが、会社を作るのに学歴はいらないと思います】(同)

 それだけ、自身の学生時代のことにコンプレックスを感じているように思える。両親の借金、蒸発は大きな暗い影ともなっているようだ。

 【造田博教では家族・親族の関係をなしにしようと思っています。(中略)家族や親族に関係があるなんていう事を放置しておくと、家族の借金を同じ家族の人が払わないといけないだとか問題が起きると思います。私は同じ家族の借金なんて関係なかったら払わないでいいと思います】(H13・9・27消印)

 奇しくも、死刑求刑の3週間後には、アメリカ同時多発テロが発生していた。その直後に、彼はぼくに現金書留を送ってきたこともあった。

©iStock.com

 【私のお金を郵送するのでとっておいて下さい。日本が戦争になった時、拘置所に置いていてお金がなくなったら困るので】(H13・9・19消印)

 しかし、ぼくは取材でニューヨークに滞在し、これを受領することができず、彼のもとに戻っていった。

 また、その後のアメリカのテロ報復攻撃については、

 【私はアメリカ合衆国の報復攻撃に賛成します】

 【アメリカ合衆国の報復攻撃にどのぐらい賛成かというと、10割のうち4割ぐらい賛成という事です】

 と謳っているのだが、それだけアメリカには強い関心があったことも事実だった。