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「あれがなければ今の日本格闘技界はなかった」伝説の“タイ式ボクシング対大山道場”秘話

『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評』より #1

2020/11/18
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プロ格闘技を根付かせる転機

 バンコクに乗り込んだ大山道場生の勇姿こそが、梶原をして『虹をよぶ拳』や『空手バカ一代』の着想を抱かせたとすれば、作風も含めて符合する。

 ともかく、石井和義も言うように、タイ式ボクシングと大山道場の対抗戦は、その後の日本に「プロ格闘技」を根付かせる転機となった。

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 しかし、出場を受諾した大山倍達も、仕掛人である野口修も、そうなることを、まったく想像していなかったのは奇妙と言うしかない。

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天才でハンサム

 夏の前のある日、野口修は池袋の大山道場を訪ねた。対抗戦が10月に内定したことを報せるためである。

「日本空手の強さを、大山道場の強さを見せて下さい」と修は道場生を激励したという。

 そこで黒崎健時は、8月20日から1カ月間、選抜メンバーを引き連れ、自身の故郷に程近い、栃木県の鬼怒川で強化合宿を行った。

 10㎞のロードワークに始まり、ダッシュ、腹筋、腕立て伏せ、スクワット、一人五十回連続の相撲、川の急流を使っての水泳と、午前中は主に体力トレーニングに費やした。

 午後は、ヘッドギアとボクシンググローブを着用しての実戦練習を延々と行った。「顔面を打つ空手」に踏み込んだのだ。メンバーの一人である大山泰彦は次のように振り返る。

《とにかく力を付けるのと、スタミナ、グローブを付けてのファイトに慣れるため、グローブを付けて組手をやった。

 蹴り技を使わないで、パンチだけの組手もやった。12オンスか15オンスか忘れたが構えたグローブを、顔面の前に持ってくると、グローブが大きいので顔が見えなくなった。それでも相手の良いパンチをもらうと、食事の時に上手く噛めない事があった》(国際大山空手道連盟公式サイト『エッセイ・汗馬の嘶き 第13話 ムエンタイ、キックボクシング』2011年7月4日更新)

 四年前の時点で、すでにボクシンググローブをはめて、タイ人とスパーリングを行っていた日本拳法空手道と比較すると、大山道場の遅滞ぶりは明らかなのだが、短期間で顔面有りの技術を体得しようとする必死さは伝わる。

 一カ月の合宿を終えて帰京すると、野口ボクシングクラブに在籍するタイ人ボクサーとスパーリングを行った。合宿の成果を試すのに格好の相手である。