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《道着に着替えて身体を動かしていると、野口氏の実弟と言う人が挨拶に来た。礼儀正しい人であった。

(中略)身体をほぐしながら待った。何と2人のムエンタイ選手(国際式のボクサーでもあると言っていた)食事の後か、楊枝を使いながら母屋の方から現れた。これにもビックリしたと同時にこの野郎バカにして……と思った。(中略)こちらは緊張している。相手は楊枝を使っている。その違いはショックであり、気合が狂った》(同)

 上の不安を一蹴したのが、中村忠である。

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 軽快なフットワークに、正確なストレートのフォーム。オフェンス(攻撃)もディフェンス(防御)も完璧と言ってよく、「明日にでもプロデビューさせていいレベルだ」と、その場にいたボクシング関係者が舌を巻いた。

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 加えて、空手家らしく一撃の威力は凄まじく、サンドバッグがくの字に折れた。スパーリングでタイ人を戦意喪失に追い込み、日本人ボクサーとも唯一手合わせをしている。そこでも見劣りしなかった。

飲み込みが早く圧倒的な実力を持ち合わせた中村忠

 中村はたった1カ月間の合宿で、顔面有りの適応力を身につけていたのだ。彼自身もこの日のことが印象深かったのか、後年になって次のように振り返っている。

《初めて見るムエタイの構えはどこか捉えどころがなく、それだけで不気味さに満ちていた。私は構わず中足でみぞおちに蹴りを入れていった。何度かそれが決まると相手の顔に苦痛の表情が浮かび始めた。(中略)

 引き続いて私は足を使わずに手だけで、新人王をとった野口ジムの選手と一ラウンドだけ戦った。初めてのボクシングの練習試合であった。私は見よう見真似でストレート、フック、ジャブと繰り出した。すると、見る間に相手の耳が腫れ上がってきて、もう防戦一方である。誰の目にも私のパンチの破壊力が上回っているのは明らかだった。

「中村君、随分やるじゃないか」

 リングを下りると、そう言いながら真っ先に野口さんが近づいてきた。私のボディブローやフックを見ていて感心したらしいのだ》(『人間空手』中村忠著/主婦の友社)