どうしても王から三振をとりたかった投手たち
田淵幸一さんから聞いた話。どうしても王から三振をとりたい投手・江夏。その王が高々とキャッチャーフライを打ち上げ、捕手・田淵が(仕留めた)と凡飛球の真下へ走り込みミットを構えると「おとせ」と江夏は叫んでいたとのこと。このONから三振をとるということは、それほど投手たちには重大事だったのでしょう。次は星野さん。背広姿は実に紳士然としたスマートな印象。ところがこの人が長嶋を語り出すと、後に闘将星野と謳われたあの表情に豹変するのです。投手・星野の語り出しはこうでした。
「長嶋からはどうしても三振とりたかった。それが夢だったよ。なんせ中日(ドラゴンズ)が勝った負けたより、長嶋から三振とれば、そっちの方がスポーツ新聞に大きく載るから。私も若いもん。チームの勝利よりそっち狙いました」と、熱く前置き。
そしてアッと驚く内情を語り出された。中日ドラゴンズの若き投手、星野仙一はその日、マウンドで読売ジャイアンツ長嶋をむかえた。当然メラメラと湧きあがる闘志。バッターボックスの長嶋はバットを素振り、で構えた。星野、グラブを下ろし静止。ゆっくりと投球モーションへ。その時、突然、彼の名を呼ばわる声。「仙ちゃん、一番いい球、いい球頂戴」と。
バッターボックスの長嶋の声で、彼はバットスウィング中でも相手ピッチャーに話しかけ、注文をつけて来たそうです。いかな大喚声にも消されることなく彼の甲高い声はハッキリと聞こえたそうです。
「カッとなってねえ。この野郎って投げ込むんだけど、長嶋はねえ、失投や打ち易い球を投げろと言うとるんじゃない。逆。逃げ球じゃあなくて、真っ向勝負の一球でこい、って注文つけて来とるのよ。よし、そんじゃあ……」と、挑んでいったそうで、そうなるとベンチの敬遠、四球のサインなんか見もしなけりゃ、見ても無視。ただひたすら、長嶋との勝負へのめり込んでいったそうです。
兔に角、火の出るような速球を投げ込んで、「星野にキリキリ舞いの長嶋」なんて新聞の大見出しを思い描いて、「こんにゃろう」と投げ込む。しかし敵はさる者、その渾身の一球を火を吹くようなバット一閃でセンターへ運ぶ。長嶋は猛走、一塁蹴って二塁へ跳ぶ。ガックリと肩を落とす星野だが……その耳にまたあの声が響く。あの声は甲高く叫ぶ。
「いい球! 仙ちゃん、今のは魔球、ボクしか打てない」と。走りながらまだ話しかけてくる。
「まあ腹立ってねえ……それで今度こそはと、必死に練習してねえ、でも考えてみりゃあ、長嶋は私が勝負にゆくといつも褒めてくれた。打たれりゃ口惜しいからおかげで練習もした。長嶋が引退した時、まっさきに泣いたのは打たれたピッチャーたちだったと思うよ」と、その人。そう語りながら、目にはキラリ光るものが滲んでおられました。
長嶋という人物が格別に「ミスタープロ野球」と呼ばれた事情はこの辺にあるのでしょう。