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「仙ちゃん、一番いい球頂戴」星野仙一の闘志を湧きあがらせた“ミスター”長嶋茂雄の注文

「仙ちゃん、一番いい球頂戴」星野仙一の闘志を湧きあがらせた“ミスター”長嶋茂雄の注文

『老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート』より

2020/11/21

source : 文春新書

genre : エンタメ, 読書, 芸能, スポーツ, テレビ・ラジオ, 歴史

note

プロ野球史に残る名勝負の回顧「江夏の21球」

 それにしてもプロ野球人の記憶とはどこか身体的でした。記憶が頭でなく身体のあちこちに刻まれているようでした。

 これは確か張本さんから聞いた話でしたが……「広岡からの送球は何か冷たくて、グラブに収まる時、捕れるかって確認するんですが、長嶋はちがいます。長嶋の送球を捕ると、グラブの中でボールが(ハリさん、優勝しよう)って言うんです」。……まさか、硬式ボールが喋ることはないのでしょうが彼らの手のひらには聞こえるのでしょう。星野さんの話の時がそうでした。長嶋へ投げ込んだ「こんにゃろう」の件(くだり)では身ぶり手ぶりで話しつつ、幻のボールの握りは直球。その時を指が憶えていたのでしょう。

送球する長嶋茂雄選手 ©️文藝春秋

 そしてこんなこともありました。その番組ですっかり仲良くなった野球人、江夏豊とゴルフで遊んでいた時のこと。昼食のクラブハウスで誰かにサインを頼まれた江夏でした。機嫌のよくない時は無愛想な男でしたが色紙ではなく硬式ボールにサインを頼まれたのでボールを握ると思い出が立ち上がったのでしょう。

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(確かカツカレーと巨大な海鮮味噌ラーメン等をフォークと箸で食べていた)江夏がフォークと箸を置き、左手の手のひらでボールを遊びながら、ポツリと低く「1球目」と呟いて握ってみせたのです。更に指を変えて「2球目」、指先でボールを回しつつ、止めて「3球目」と。江夏はコマ撮りの連続写真のように瞬時瞬時にボールの握りを変えて、そのひと言を「21球目」まで続けました。

江夏豊選手 ©️文藝春秋

 野球について私にどれほどの知識があるわけではありませんでしたが、それは彼自身が語ってくれた「江夏の21球」でして、プロ野球史に残る名勝負の回顧でした。1979年、日本シリーズ第7戦で、対近鉄バファローズ戦の9回裏、心理と技の粋(すい)を注いで江夏が投げ込んだ「21球」の渾身を称えて、そう呼ばれていました。

 その一球、一球にプロ野球人たちの命懸けの表現があるのですが私の驚きはその勝負の細やかさ、巧みさにはありませんでした。私は球技全般について感性が鈍く、センスがありません。下手なので、彼らが当たり前のように呟く言葉にひたすら驚くのです。「江夏の21球」について私が一番驚いたのは、もう10年も前の試合の、一瞬のうちに過ぎていった「21球」を江夏の指がすべて記憶していることです。

 この人たちは指で記憶し、叫びそして手のひらで声を聞く、そんな体感の人たちなのです。