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「『孤独のグルメ』で何度も見た印象的な光景は…」松重豊が語った撮影の“ハイライト”

――松重豊の「僕が『空洞のなかみ』を書いたワケ」 #2

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 柄本明さんが出た時(2017年年末スペシャル「孤独のグルメ 大晦日スペシャル~食べ納め!瀬戸内出張編~」)なんて、本当にすごかった! お店の本当の主人もかなり印象的な人だったんですが、柄本さんはその主人もさらに超越して、すごく味のある「主人」になった。本当に表現者として鑑だなと思わされました。

 役者は、「空っぽ」のいれものとして、中にいろいろな「役」をとりこんで見せものにしていく……。役者の面白さはそういう「空洞」なところなんだなと思わされるんです。

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「空洞のなかみ」の正体

――初著書『空洞のなかみ』も、タイトルに「空洞」という言葉がありました。「無とは違う」というセリフが本の中にもありましたが、どういう意味なのでしょうか。

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松重 僕自身、自分は「空っぽの器」だという感覚があるのですが、役者の仕事を理解してもらうには、究極、「空洞」という意識や頭でいるんだと思っていただくといいのかなと思うんです。

「空洞」のいれものだから、「ああ、こういう人を演じるんだ」と刺激を受ければ、そうした役を取り込むことができる。なかみが空っぽだから、何かを入れることができるんです。

 これは、じつは俳優業に限ったことじゃなくて、人間もそうなんじゃないかなと思うんです。

 少し変わった言い方ですが、考えてみれば人間の体も「消化管が口からつながってお尻の穴に抜けていく」という、一種の空洞です。空洞が空っぽであれば、何かを入れたいと思って「今日、何食べたいかな」とか、「今コロナの時期でスイーツの店やってないから、自分で作ってみようかな」とか、そこに何を入れるかなと考える。生き物としての僕たちの日常って、この連続だと思うんです。

「井之頭五郎」を演じているから……というわけではありませんが、人間を突き詰めて考えると、「食べるための生き物」だと思うんですよね。食べること自体大好きだしすぐ空っぽになるから、「次、何入れようかな」って考えますし、食べることに対しては井之頭並みに僕も興味があります。

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「空洞」だから「お腹すいた。じゃあ入れよう。何食べたい? これ入れよう」。食べたものが出ていけば「じゃあ次に何入れよう」って、無限ループみたいなものがある。いろんな役をやっていくうちに、入れたり出したり、出たり入ったりするという感覚が、役も食べ物も一緒だなって思うようになったんです。

 だからよく見てみると、本の表紙が「空の箸袋」でしょう。なかなか憎い表紙だなと思います(笑)。

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松重のYOUTUBEチャネル https://www.youtube.com/channel/UCxcBWC7P7Smralh_8ETtnpQ
公式サイト
https://mattige.com/

空洞のなかみ

松重 豊

毎日新聞出版

2020年10月24日 発売

「『孤独のグルメ』で何度も見た印象的な光景は…」松重豊が語った撮影の“ハイライト”

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