巨大なヒットを生み出すアニメーターの技術
漫画原作から絵を動かす日本のアニメーターの技術は、簡単に3DCGで置き換えられるものではない。『コナン』の青山剛昌による独特のキャラクターデザイン、『鬼滅』の吾峠呼世晴のエモーショナルな描線で構成された原作の世界観を、そのセンスを感覚的にコピーしながら動かしていく職人的センスによって、巨大なヒットを生み出す作品は支えられている。
アニメーション映画の国民的映画化を成し遂げた宮崎駿のスタジオジブリにしても、それを可能にしたのは演出をしながら動画に手を加えていく宮崎駿の絵の才能であり、それを支えたジブリの職人たちである。スタジオジブリはアニメーターを正社員として雇用し、日本の中では安定した雇用環境で人材を育成することで知られていたが、宮崎駿の引退宣言にともない制作部門を解散。スタッフたちは退職し、別々の現場に流れていくことになった。
現在は新作『君たちはどう生きるか』の制作に伴い、再び集められているようだが、高畑勲は既に世を去り、宮崎駿の作品も今回こそ年齢的に最後とも言われる中、その雇用は安定したものではない。
アニメーターの経済的苦境が伝えられるようになって久しい。国産コンテンツの育成を掲げた政府の『クールジャパン』政策が、実際には現場のクリエイターたちにほとんど恩恵をもたらさなかったことは、ヒロ・マスダの著書『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー~経産官僚の暴走と歪められる公文書管理~』でも詳細に検証されているが、近年は裁量労働制による長時間労働の残業代が支払われないことを社員が訴える事件も相次いでいる。
「結局、アニメ業界は毎年のように無謀な『インパール作戦』をやっているわけです」というのは、文春オンラインでも報じられた苦境にあるアニメーターのインタビューに登場する発言だが、日本映画歴代興行収入のトップ10のほとんどをアニメーション作品が占め、日本映画の製作費を稼ぎ出すメインエンジンでありながら、その根底を支えるアニメーターたちの環境は不当なほど厳しい。
アニメーションにおいて、作画は作品の命である。どれほど優れた脚本があっても、絵を動かす技術が劣化すれば、オーケストラの演奏に不協和音が混じるように、宮崎駿たちが築いてきたアニメ映画に対する国民的コンテンツとしての信頼は崩壊する。少子化で若手は減り、スタッフが疲弊する中、このアニメーターの技術という部分が崩壊することは決して絵空事ではない。